上野動物園(寒松院)茶室・閑々亭と水琴窟

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上野動物園(寒松院)茶室・閑々亭

創建年

  • 1626年(寛永3年)
再建年

  • 1878年(明治11年)
建築様式(造り)

  • 数寄屋造り
  • 一重
屋根の造り

  • 茅葺き
発願者

  • 藤堂高虎

茶室・閑々亭の読み方

茶室・閑々亭は「かんかんてい」と読みます。

上野動物園(寒松院)茶室・閑々亭の歴史

この茶室・閑々亭は3代目将軍家光公をもてなすために藤堂高虎が1626年(寛永3年)に建てたものです。うきゃ

高虎は自身よりも先に没した主君・家康公を祀るために自らが所有する上野台地の敷地の庭に東照社を造営します。

家光公は叔父である家康公が眠る、その東照社(現・上野東照宮)へ度々、参拝に訪れています。

そこで高虎は、家光公をもてなすために「寒松院」という寺院を建立し、その庭に茶室も作ったのです。

その茶室こそが、上掲写真に見える日本昔話で登場しそうな建物です。




寒松院の焼失

1868年(明治元年)の上野戦争の折、彰義隊(しょうぎたい)の戦いがこの上野の台地で繰り広げられていますが、この戦いによって寒松院は焼失しています。

その約10年後の1878年(明治11年)5月に寒松院の敷地内の庭先に閑々亭のみが再興されていますが、もともと建てられていた場所は近くですが、現在とは別の場所です。

閑々亭の佇まいだけを見れば廃れた様子が感じられず、人の手で管理されているように見えますが、これは現在に至るまで幾度か補修されているからでゴンす。

「閑々亭」の名前の由来

3代目家光公は高虎のもてなしに感謝の意を表し、次のように述べています。

「戦う定めである武士が茶の湯などという風流をたしなむ時代になった」

「これは世の中が閑(かん=平和)になったと言う証拠であろう」

「なればこの茶室は”閑々亭”と名付けるのが妥当であろうの。ふぉっふぉっふぉっ」

以上のような経緯を経て、この茶室は「閑々亭」と名付けられてい‥‥申す。

つまり、茶室の名付け親は3代目家光公ということになり申す。

ムンムン💋ムラムラ❤️「閑々亭」!

ムンムン💋ムラムラ❤️「閑々亭」!

閑々亭の見どころ

水琴窟

水琴窟とは?

水琴窟(すいきんくつ)とは、手水鉢の手前あたりに設置されることの多い、ちょっとしたモテなしの精神が産んだ創作物です。

まず、手水鉢の地中に巨大な何も入っていない甕(かめ/クソでかいツボ)をひっくり返した状態で埋め込んでおきます。

手水鉢の水を柄杓ですくって手を洗う時に地面の上で手を洗うと、地中に染み込んだ水がクソでかい甕の中に入ります。

そうすると、ドコからともなく水が下垂れ落ちる心地よい反響音が耳にコダマしてきます。

これは、手を洗い流すだけの少量の水を地中へ流したことにより、1滴1滴の水の音が心地よくハッキリと耳に聞こえてくるのです。

蝉しぐれが止まない夏場にこれを聞くと‥‥不思議しぎしぎ摩訶不思議なほどに涼しくなってき‥‥申す。カきゃカカカっきゃキャっ

この音を聞いた直後、なぜか、なぜかっ!チェリーを浮かべた素麺が食べたくなってき‥‥‥申す。

⬆️説明書きが立て札に貼られているので見ればなんとなく分かるであろぅ

水琴窟のやり方

上掲写真の右端に見える竹棒の先に耳をあてまする。

するとあらまあらまの摩訶不思議、なんとぉっ!竹筒の奥から水が何か巨大な入れ物の中に落ちる音が聞こえてくるじゃアーリませんか!

ムンムン💋ムラムラ❤️閑々亭の場所…アカン、止まらん

茶室・閑々亭は象のコーナーを抜けた先の森の茂みの中にありまする。付近にトラの森があります。

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