【唯我独尊!】浅草・浅草寺の雷門(大提灯)「歴史(年表)・由来・大きさ(高さ・幅)」【画像/写真つきで簡単に解説!】

スポンサードリンク

【唯我独尊!】浅草・浅草寺の雷門(大提灯)「歴史(年表)・由来・大きさ(高さ・幅)」【画像/写真つきで簡単に解説!】

創建年

  • 942年(天慶5年)※平安時代
正式名称

  • 風神雷神門(ふうじんらいじんもん)
雷門の大きさ

  • 横幅11.4m
  • 奥行き6.1m
  • 高さ11.7m
建築様式(造り)

  • 鉄筋コンクリート造
  • 八脚門
雷門の屋根

  • 本瓦葺
  • 切妻屋根
造営者

  • 平公雅(創建当初)
  • 松下幸之助(再建時)
・本瓦葺
平瓦と丸瓦が交互に使われている屋根
・切妻屋根
屋根の最も高い部分から両側に傾斜を作った屋根
開門・閉門時間

  • なし(24時間解放)
雷門(提灯)ライトアップ(点灯)時間

  • 毎日、日没後から23時頃まで
雷門から宝蔵門(本堂前)までの距離

  • 約300m(仲見世通りの長さ)
雷門の場所(住所)

  • 東京都台東区浅草1丁目2番3番地

雷門の読み方

雷門はそのまま「かみなりもん」と読みます。

名前の由来は、風神雷神像が門の左右に祀られているいることに由来します。江戸時代中期頃にはすでに「雷門」と呼ばれていたようです。

東京 浅草・雷門の別名

「山門」「総門」

創建当初の雷門は現在の駒形堂付近に建っていましたが、この当時は「山門」や「総門」と呼ばれていました。

総門が駒形堂近くに建てられた理由はご推察のとおり、かつては駒形堂が浅草寺参拝のスタート地点、すなわち「浅草寺境内への入口」とされていたからです。

参拝者は渡船で隅田川を渡り、まずは駒形堂へ詣でてから総門(山門)をくぐり、「掛見世(かけみせ/=現在の”仲見世”商店街のこと)」通って、観音堂(本堂)を目指したのです。

「神鳴門」

実は、この雷門には、もう1つ別名があります。

「雷門」と書かれた大提灯が有名になりすぎて、本来の名前では呼称されなくなりました。

本来の名前を「神鳴門」という呼び方もあります。読み方は「しんめいもん」と言います。

神鳴門の名前の由来と意味は、「風も雷も音がする(鳴る)」ことから「あてられた漢字」です。

東京・浅草「雷門の歴史(年表)・由来」

歴史
942年 武蔵国への配置換えを希望していた安房国(あわのくに)の領主、平公雅(たいらのきんまさ)が、武蔵国に着任する。かねて浅草寺に参拝・祈願していた公雅によって、門を始めとする伽藍が整備される。創建当初の雷門の位置は現在の駒形堂近辺。
※武蔵国:現在の東京都、埼玉県と神奈川県の一部、安房国:現在の千葉県の一部
※平公雅は、935年(承平5年)から関東地方で蜂起した平将門のいとこ
・鎌倉時代 門を現在の場所に移築、風神雷神を造立(制作)
1180年 源頼朝が参拝に訪れる。この時頼朝は鶴岡八幡宮造営のために浅草周辺の腕利きの大工を自陣へ囲う。
1590年 徳川家康公、江戸入府を機に浅草寺を祈願所に定める。関ヶ原の戦勝祈願も浅草寺で行われた。
1642年 2月19日、火災で焼失
1649年 再建される。
1685年 仲見世の前身となる”掛見世”と呼ばれた商店街ができる。またこの年、浅草寺は寛永寺(上野)の管理下に置かれる。
1767年 火災で焼失
1795年 3月再建成る。※この時、「雷門」と書かれた提灯が初めて奉納される
1804年〜18年頃 「雷門」という通称が用いられるようになる。
1851年 輪王寺宮の御成り(参拝)
1865年 浅草田原町の火災の類焼により雷門焼失※「浅草田原町(たわらまち)」は現在の雷門1丁目一部と寿3丁目の一部。
※以降は博覧会や、戦争で勝った記念などのイベント毎に仮設の雷門が建てられたが、本格的には再建されず。
1882年 雷門前に鉄道馬車の線路が敷かれる。
1886年 1886年(明治19年)、仮説の雷門として「布張りの雷門」が仮造営される。
1960年 松下幸之助氏(松下電器産業社長※現パナソニック)の寄進により再建
1982年 塗り替え工事が完成
1978年 松下グループ有志の寄進で天龍像と金龍像が奉納される。
2003年 江戸幕府創始400年を記念して、提灯を新調し、従来のもの(670kg)より大きくする(700kg)。ライトアップが始まる2013年で5回目の提灯掛け換え

雷門はいつ頃できた?「雷門の創建年」

浅草寺の創建年は628年と伝えられていますが、文献に初めて登場するのは鎌倉時代の「吾妻鏡」なので、鎌倉時代より古い時代の歴史は、残念ながら詳しくはわかっていません。

1400年頃(室町時代)の成立と言われる「浅草寺縁起」によると、浅草寺は平安時代や室町時代にも火災の被害を受けたようですが、その当時、雷門が存在したのか?存在したとするならば焼亡に至ったのか?などは不明です。

江戸時代の雷門周辺も現在と同じように賑わい騒がしかった

現在の雷門周辺は門前に交番が建てられるほど、たくさんの人が訪れます。その様相はまるで何かの術にかかったかのようにさえ見えるほどです。

かつて雷門をくぐった先は「南谷(みなみだに)」と呼称され、現在の仲見世の前身となる「掛見世」と呼ばれる商店街のほか、12もの塔頭(子院)が軒を連ねていました。

中でも特に有名だったのが、「梅園院(ばいえんいん)」と呼ばれた塔頭です。

梅園院の境内には「子育て仁王尊」という子院があり、安産・子育てのご利益で知られた有名な寺院でした。

現在に至っては梅園院はもうありませんが、かつて梅園院が確かに存在した名残りとして仲見世で「梅園(うめぞの)」という茶店・土産物屋が今も営業を続けておられます。

梅園は梅園院より、特別に許可をもらい、1854年(安政元年)に梅園院の隣で営業を開始しています。

⬆️浅草・梅園

浅草・梅園の公式HP:http://www.asakusa-umezono.co.jp/

梅園の場所(地図)

  • 所在地:東京都台東区浅草1-31-12
  • 雷門から徒歩約2分(仲見世商店街内)

江戸時代後期になる頃には、現在の雷門および仲見世周辺のみならず、浅草寺境内全体で100を優に超えるほどの寺社仏閣が軒を連ねていたようです。

明治初頭には「鉄道馬車」が設置される

1882年(明治16年)になると雷門前に「雷門ー新橋」間を運行する鉄道馬車が開設されます。

⬆️「東京ー新橋」の位置関係

鉄道馬車とは、馬に車両を引かせた言わば「馬力を動力とした電車」のことです。半ば鉄道なので線路を敷き、その線路上を走行します。

⬆️鉄道馬車

 


スポンサードリンク -Sponsored Link-






雷門の「風神・雷神像」の歴史

↑浅草・雷門「風神」↑浅草・雷門「風神」

↑浅草・雷門「雷神」↑浅草・雷門「雷神」

像高(高さ)

  • 風神像:2.18m
  • 雷神:2.09m

風神雷神像の歴史

歴史
鎌倉時代 山門(現在の雷門)に奉納される。山門は前述の通り「駒形堂」近くにあった。
1865年 浅草田原町の火災像の際、頭以外を焼失する
1874年 塩川運玉氏により復元される
1960年 森大造氏、萩原雅春氏により彩飾が補われる

雷門に向かって右の、「青い肌の神様が風神」、「左の赤い肌の神様が雷神」です。

像高は共に約2.2mあります。

鎌倉時代には奉納されていたとされていますが、1865年(江戸時代末期)の大火で頭以外は焼失し、以来、約95年間は雷門がない状態(失われた状態)が続きました。

この当時、雷門は全国的に名前が知られていたのですが、肝心の「門」がないことから「名前あっても実なし。されど唯我独尊!”横綱格の門”」などと呼ばれていました。

現在の2像は、焼け残った頭部に新しく体をつけたものです。

風神雷神は浅草寺の護法善神(仏の教えを守護する神)で、元々は浅草寺を風や雷、また、水害や火災から守るための神でした。

それが時代と共に、人々の五穀豊穣への願いや風水害・火災への恐れも結び付き、信仰に繋がっていきました。

「雷が多い年は豊作」という伝承も、風神雷神信仰に影響を与えたことでしょう。

門の正式名称は「風雷神門(ふうらいじんもん)」といい、もちろんこの風神雷神にちなんだ名前です。

大提灯の表側は「雷門」ですが、裏には、「風雷神門」と書いてあります。

「雷門」の呼称は江戸時代にはあったようで、川柳にも詠まれていますが、いつから始まった呼び方なのかはわかっていません。

雷門に2つの謎の「龍神像」?!!

雷門は門に3つの間があある三間一戸の八脚門で左右の間に1体ずつ仏像が安置されています。

門の脚は本柱4本と前4本、後ろ4本の柱が据えられています。

三の間の両端の間には、表側に風神雷神、そして裏側には2体の「龍神像」が安置されています。

風神雷神がそれぞれ風と雷を司る神であるのに対し、龍神は水を司る神です。

提灯の底にいるのは龍そのものですが、この龍神像は男女の擬人化した姿になっており、2体とも尻尾を持っています。 1978年、松下グループの有志が寄進したもので、木曽ヒノキでできています。

天龍像(門に向かって左側、男性像)

大きさ

  • 高さ2.93m
  • 重さ250kg
材質

  • ヒノキ(最高高級の木曽産)
作者

  • 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)

金龍像(門に向かって右側、女性像)

大きさ

  • 高さ2.74m
  • 重さ200kg
材質

  • ヒノキ(最高高級の木曽産)
作者

  • 菅原安男

 

東京 浅草・雷門「大堤灯」

東京 浅草・雷門「大堤灯」

奉納が開始された年

  • 1795年(寛政7年)※江戸時代中期
大きさ

  • 高さ3.9m
  • 直径3.3m
  • 重さ700kg
作者(制作)

  • 高橋提燈(京都市下京区)

大提灯はいつ頃から奉納され始めたのか?

大提灯の奉納は松下幸之助氏が奉納したことが有名であり、松下幸之助が最初に奉納したイメージが強いのですが、実際は少し異なります。

例えば、江戸時代中期頃〜後期に制作された「江戸風俗図巻」の中で1720年(享保5年)頃の雷門の姿が描かれているのですが、なんと!大提灯の姿がどこにも見当たりません。

これは大提灯の奉納が1795年(寛政7年)の雷門再建時より開始されたためです。

ただし、当初は「雷門」と書かれた大提灯ではなく、「志ん橋」という文字が書かれており、のちに時代を経る過程で「志ん橋」とも書かれるようになっています。

注目!裏側には「風神雷神門」と書かれている!

表側の「雷門」の2文字だけが有名ですが、雷門をくぐってみてちょっと提灯の裏側をご覧にみてなってください。

雷門の正式名である「風雷神門」の4文字も見えます。

大提灯の制作期間と作っている人

提灯の骨組みに使われる「竹は京都の丹波産」、「和紙は福井県産のコウゾという植物を原料にした手すき和紙」で、1枚は畳半畳分もの大きさがあります。

重さ700kgには驚いてしまいますが、それもそのはず、この和紙をおよそ300枚重ねるのだそうです。

大提灯の制作は、約1年かけて、竹や和紙などの下準備がなされて、その後、約3ヶ月かけて提灯を仕上げて行きます。

1971年からは京都市の老舗、高橋提燈が制作を請け負っており、現在にいたっては約10年ごとに修繕され、掛け換えられています。

つまり、おおかた1年半ほどの制作期間を要して完成していることになります。..いゃ~アッパレ!

提灯ですから、この大きさでも伸び縮みさせることができ、毎年5月にある「三社祭(さんじゃまつり)」の時と、強風で破損の恐れがありそうな時は、たたまれています。

雷門の大提灯は「底(1番下)」の裏側こそが華!

ところで、大提灯の底にも見どころがあるのをご存知でしたか?

ちょっと、潜り込んで見てみてください。

迫力満点の龍の彫刻が見られます。

宝蔵門の下↑雷門の大提灯の底の裏側

地元浅草出身の彫刻家である渡邉崇雲氏の彫刻で、提灯が掛け換えられても、こちらは塗り直しながら、繰り返し使われています。

ちなみにこの龍は2002年、渡邉氏が78歳の時の作品です。

渡邉氏は雷門の龍の他にも、宝蔵門、本堂、二天門、浅草不動尊の龍の彫刻も手掛けています。

さて、なぜ龍なのかというと、浅草寺の起こりに関する逸話にまつわるものなのです。

その物語とは・・

浅草寺・聖観音菩薩像と雷門の龍の意外なつながり

今からおよそ1400年前の628年(飛鳥時代)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)という兄弟が隅田川で網漁をしていたところ、一体の観音像が網に引っかかっていたのです。

これが後に浅草寺の本尊となる「聖観音菩薩像」です。のちに聖観音菩薩像は兄弟の主人の邸宅に安置され、これが浅草寺の起源とされます。

この時、観音様の現出を喜び、長さ100尺(約3km)の巨大な龍が、金色の鱗をきらめかせながら舞い降りました。以降この龍は、観音様を守り続けている・・

というものです。

浅草寺の山号「金龍山」も、この逸話にちなんでつけられました。

龍は「龍神」「龍王」などと呼ばれ、仏教においては仏の教えを守る神様です。

それと同時に、雨を降らせて作物を実らせる「水神」として、人々から崇められてきたという歴史もあります。

特に浅草の街は木造の建造物が密集し、1度、どこかで火事が起これば類焼をまぬがれるのは困難を極めるものでした。そこで「火の手から人々を守る」という意味での水神でもありました。

よく見ると、この龍は「玉」を持っています。

アニメ・ドラゴンボールと浅草寺の意外な結びつき

この玉は「如意宝珠(にょいほうしゅ)」と呼ばれるもので、どんな願いでも叶える玉とされています。

人気アニメ「ドラゴンボール」内に登場する「7つ集めることでどんな願い事でも1つだけ叶えてくれるとされる”ドラゴンボール”」のモデルもこれですね。 ドラゴンレーダーぴこぴこ

如意宝珠は「如意輪観音」や「地蔵菩薩」の持物として知られていますが、「龍神の脳の中にある」という言い伝えもある魔法の玉で、龍と共に描かれることも多くあります。

雷門の裏側の、天龍・金龍も持っていますよ。

雷門と「松下電気(パナソニック)」に意外な接点が?

東京 浅草「雷門」と「松下電気(パナソニック)」に意外な接点が?

雷門の顔となっている大提灯は、1960年、松下電気産業(現在のPanasonic)の創業者である松下幸之助氏の寄進によって作られたのが始まりでした。

松下氏が浅草寺に大提灯を奉納した理由として、ちょっとしたエピソードがあります。

1959年、この当時、松下氏は「ひざの関節」の調子が思わしくなかったようで、この話を偶然、耳にした当時の貫首(かんす)清水恭順氏が特別に御本尊にご祈祷したそうです。

すると翌年、不思議なことに嘘のようにひざの関節の痛みが消え去り、今まで以上に仕事に打ち込めるようになったとのことです。

そのお礼として95年前に焼失してそのままだった門の再建と、この大提灯を松下氏個人の寄進により、浅草寺に奉納したのが経緯です。

完成後の落慶式に出席した松下氏は目元を少し潤ませながら「私にこの門と提灯を奉納させていただき本当にありがとうございました」と一言告げられました。

大提灯の下にある「金属の輪」に「松下電器産業株式会社 松下幸之助」とあるのは、このような経緯があったためです。

大提灯の下にある「金属の輪」に、「松下電器産業株式会社 松下幸之助」とあるのは、そのためです

現在でも松下氏が行った大提灯の寄進は踏襲されており、現在に至っては松下氏の意志を受け継いだ「Panasonic株式会社(パナソニック)」によって半ば儀式的に約10年ごとに奉納されています。

大提灯が掛け換えられる「懸吊(けんちょう)式」には、Panasonicの役員を始めとする代表者も参列しています。

↑浅草寺・雷門「懸吊式」↑浅草寺・雷門「懸吊式」の様子

金龍山の扁額

大提灯にばかりが脚光を浴びて、雷門の大提灯の上にはあまり注目されませんが、ちょっと大提灯の上に目をやると金文字で「金龍山」と書かれた豪華な扁額が飾られています。

これは曼殊院(京都)の門跡・「良尚法親王」が揮毫されたものを模写して扁額としたものです。

曼殊院は台密(天台宗)の創始者「最澄」によって創建された寺院です。

曼殊院の扁額が浅草寺の顔ともなる雷門に飾られている理由は、1949年(昭和24年)までは浅草寺は天台宗直下の寺院だったからです。昭和25年より、天台宗を基本としつつ、独自の宗派である「聖観音宗」という宗派を立ち上げています。

坂東三十三観音札所霊場の石碑

昨今、この雷門の前は人ごみでごった返していることからよく見えませんが、この雷門を向かいてみ左右には「坂東第十三番札所」「江戸第一番札所」と刻まれた石碑が立てられています。

ただ、「江戸第一番札所」と書かれているのが気になりますが、これは当時の江戸っ子魂や江戸っ子の気質が感じられる部分です。

通例であれば「1番札所」と言うのは入口に豪壮感ただよう門構えがあり、広大な境内を有した寺院をイメージしますが、坂東三十三観音札所霊場の1番札所は鎌倉にある「 杉本寺(杉本観音)」です。

杉本寺は浅草寺ほどの規模の境内があるわけではなく、規模で言えば浅草寺とは比較にならないほど小規模です。

どうも当時の江戸っ子はこれが気に入らなかったようで、わざわざ「坂東第十三番札所」の隣に「江戸第一番札所」の石碑を用意して後々に奉納したとのことです。

⬆️正面には「金龍山 浅草寺」の刻字が見える(現在はヤナギの木が伐採されている)

東京 浅草「雷門」のとんでもない「お土産」?!!

雷おこし

雷おこし1795年(江戸時代後期)に雷門が再建された時、露店商が売りだしたのが起源とされています。

「雷」は、もちろん雷門にちなんだもので、「雷よけ」という意味合いも付加されました。

「おこし」というお菓子自体は、1000年も前の文献にも登場する、長い歴史を持つものですが、そこに「家をおこす」「名をおこす」などの言葉をかけることによって、雷おこしは縁起物として売り出され、人気を得たようです。

雷門のすぐ脇に本店のある「常磐堂雷おこし本舗」は、「雷おこし」が売られ始めた江戸時代から、約200年続く老舗です。

今では、食感も味も様々な雷おこしが登場しています。

実演販売もありますよ。

雷おこしの販売店「常磐堂雷おこし本舗」

常磐堂雷おこし本舗

住所

  • 東京都台東区浅草1-3-2
電話

  • 03-3841-5656
営業時間

  • 9時~20時半
定休日

  • 年中無休

人形焼

人形焼大提灯をかたどった人形焼を、一度は目にしたことがある方も多いのではないでしょうか?

人形焼きの元祖とされるのは、明治元年創業の「木村家本店」です。

初代が考案した味、そして浅草寺にちなんだ「五重塔、鳩、雷様、提灯」の4つの型を守り続けているそうです。

お店は宝蔵門の目の前です。

150年受け継がれてきた名物の人形焼きを、お土産にしてみてはいかがですか?焼きたても味わえます。

人形焼の販売店「元祖人形焼木村家本店」

「元祖人形焼木村家本店」

住所

  • 東京都台東区浅草2-3-1
電話

  • 03-3841-7055
営業時間

  • 9時~19時
定休日

  • 火曜日

スポンサードリンク -Sponsored Link-






雷門に小さい火事が発生して煙が出ている??「雷門の煙の謎」

浅草・浅草寺には、毎日、たくさんの観光客が訪れます。

その中には、「雷門から煙が出ている」などの情報を、まれに目にすることがあります。

しかし、本当に雷門で煙を目撃したのであれば、それは大変な事態かもしれません。

「ぎぇ!!雷門が火事ぃっっ~!!!」…などと、思わず慌てふためいてしまうことになります。

しかし、この煙には解釈があって、おそらく雷門の先の「浅草寺本堂から出ている煙」のことを言っているのだと思われます。

地元の方はご存知でしょうが、雷門と浅草寺とは直線距離で500mほど離れており、「仲見世の商店街」を抜けた先に浅草寺があります。

その浅草寺の本堂前には、煙がモクモクと出ている場所があるのです。

そして、この煙、何も浅草寺だけではなく、日本中の至るお寺で目にすることができます。

この煙、いったい何のためにあるかご存知ですか?

雷門の煙の正体と「何の煙?」

煙の出所の詳細は、浅草寺の本堂前の「香炉(こうろ)」です。

煙の出所は、浅草寺の本堂前の「香炉(こうろ)」です (2)香炉とはお香を焚く器で、身近なところでは、仏壇やお茶の間に置くものがありますね。

お寺にある大きい香炉は「常香炉(じょうこうろ)」と呼ばれています。この常香炉に立てられた線香から、煙が立ち上っているのでご安心を。オホ

【補足】東京 浅草「雷門」のペーパークラフト(模型)がリアルすぎてスゴイ..。

実は、浅草・雷門の模型が日本のメーカーより発売されています。

しかし、その中には、なんと!紙の模型を販売しているメーカーもあるようです。

紙の模型?どうせ、スグに捨てるような模型だろ?・・チっ!

・・などと、考えてしまうのが普通ですが、ぜひ1度、ご賞味あれ!

リアルすぎて、空いた口が閉じぬぁぃ..。ふぉっ、ふぉっ

以下では、浅草寺・雷門のオススメの商品をご紹介します!

カワダ ペーパーナノ雷門 PN-103

ペーパーナノ雷門 PN-103(カワダ)

出来上がりサイズ(箱含む)

  • 幅:約90mm
  • 奥行き:60mm
  • 高さ:90mm

※パーツはレーザーカットされています。
背景に花火が描かれた黒い箱に納めて、お部屋のインテリアにするとおしゃれですよ。

KAMINARIMON GATE 3D立体パズル115ピース(Cubic Fun社)

KAMINARIMON GATE 3D立体パズル115ピース(Cubic Fun社) (3)

出来上がりサイズ

  • 幅:約270mm
  • 奥行き:220mm
  • 高さ:180mm

※のりやはさみ不要のパズル形式のペーパークラフトです。
以上はいずれも、楽天、Amazon、DeNAなどの通販サイトで購入できます。

更にもう1つ、無料のペーパークラフト素材もご紹介します。

Canon社「Creative Park

KAMINARIMON GATE 3D立体パズル115ピース(Cubic Fun社)

家庭用プリンター「ピクサス」でお馴染み、Canonのホームページ内にある「Creative Park」というコーナーでは、動物、乗り物、建物などのペーパークラフト素材を、無料でダウンロードできます。

雷門もあるので、覗いてみてはいかがでしょう。

部品と説明書合わせてA4用紙34枚と、十分なインクさえあれば、ご自宅で印刷できますよ。

雷門の場所(地図)

浅草寺・本堂からの所要時間・距離

  • 所要時間:約5分
  • 距離:450m

雷門へのアクセス(行き方)

スポンサードリンク -Sponsored Link-

    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ