上野動物園の基本情報 (概要)
創設年(開園年)
- 1882年(明治15年)3月20日
正式名称
- 東京都恩賜上野動物園
動物の種類と頭数
- 約500種、3000頭
管理運営
- 公益財団法人 東京動物園協会
広さ(総面積)
- 14.3ヘクタール
「東京都恩賜上野動物園」の読み方
「東京都恩賜上野動物園」は、聞きなれない名前となりますが「とうきょうとおんしうえのどうぶつえん」と読みます。
上野動物園と有名施設の面積比較
・よこはま動物園ズーラシア(神奈川県):53.3ヘクタール
・多摩動物公園(東京都):52.3ヘクタール
・井の頭自然文化園(東京都):11.5ヘクタール
上野動物園の入場者数
・2012年度:約383万人
・2013年度:約349万人
・2014年度:約369万人
・2015年度:約397万人
入場者数は毎年日本一を記録しています。
2008年にパンダがいなくなった直後は年間入場者数が 300万人を割り込みました。
2011年にパンダがやってきたことでまたブームが起こり、入場者数が増加しています。
上野動物園はもともと動物園として開業したワケではなく、上野公園内に移転開設された、現在の「国立博物館の付属施設として開業」しています。
飼育する動物の種類や数も年々増加し、名古屋市の東山動植物園に次いで国内第2位の多さです。
上野動物園の歴史(年表付き)
明治時代
西暦 | 年号 | 月日 | おもな出来事 |
1882年 | 3月20日 | 日本で初めて動物園(農商務省博物局付属の動物園)として開園する。当初の敷地面積は1ヘクタール。 | |
1883〜1901年 | アジアゾウ、トラ、ヒョウ、シフゾウ、ハリモグラ、ニホンオオカミ、アホウドリ、ウシウマ、トキ、シマフクロウなどが来園。 | ||
1895年 | 7月 | 黒川義太郎、最初の動物園獣医として採用。 | |
1895年 | 日清戦争で旅順を陥落させた山地元治第1師団長からフタコブラクダ2頭が皇太子に献上され飼育された。 | ||
1902年 | ドイツ帝国ハンブルクのハーゲンベック動物園からライオン(バーバリーライオン)、ダチョウ、ホッキョクグマなどが来園。 | ||
1903〜1935年 | キリン、カバ、チンパンジー、ゴールデンライオンタマリン、テングザル、メガネザル、レッサーパンダ、ナマケモノ、センザンコウ、タイマイ、クロツラヘラサギ、モリバトなどが来園。 | ||
1907年 | 入場者数が 100万人を超える | ||
1909年 | 明治42年 | テングザル到着。 | |
1911年 | 明治44年 | カバを購入、初渡来。このころ動物園の面積は3ヘクタールほどになる。 |
大正時代
西暦 | 年号 | 月日 | おもな出来事 |
1919 | 大正8年 | 朝鮮の京城(現在のソウル)昌慶苑動物園より、カバのメス“京子”来園。 | |
1923 | 大正12年 | 関東大震災では、正門の門柱が1本倒れたほかは大きな被害がなく、動物も、カバがびっくりして水に潜ったままなかなか出てこないので心配したというぐらいで無事にすむ | |
1924年 | 大正13年 | 皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を記念して、経営管理が宮内省から東京市に移管される。この頃を境に園内設備の大改造がおこなわれる。ホッキョクグマ舎やサル山などがつくられる。(農商務省から→宮内省→東京市→東京都建設局を経て→現在は東京動物園協会の管轄) | |
1925 | 大正14年 | アジアゾウの子ども“ジョン”と“トンキー”が来園。 |
しょうわ時代
西暦 | 年号 | 月日 | おもな出来事 |
1928年 | 昭和3年 | 園内設備の近代化改造第1弾としてホッキョクグマ舎完成。 | |
1932年 | 昭和7年 | サル山完成(現在のサル山)。※従来1931年(昭和6年)完成ともされてきましたが、再調査の結果、1932年(昭和7年)10月に完成したことが判明しました。 | |
1933年 | 昭和8年 | この年、来日したハーゲンベック・サーカスより、キリン、コンドル、マントヒヒ、フラミンゴなどを購入した。 | |
1935年 | 昭和10年 | タイの少年団から親善のためゾウ(ワンリー)が寄贈され来園。 | |
1936年 | 昭和11年 | クロヒョウが脱走する事件が起こる。クロヒョウは14時間後無事に捕獲され、被害は特に出なかったものの、人々に与えた衝撃は大きく、同じ年の「阿部定事件」「二・二六事件」と共に「昭和11年の三大事件」と呼ばれました。 | |
1937年 | 昭和12年 | キリンの繁殖に成功する。爬虫類室が完成。 | |
1938年 | 昭和13年 | カバの繁殖に成功する | |
1939年 | 昭和14年 | 中国での戦功動物として、ロバ、モウコノウマ、フタコブラクダなどが到着。そのうちのロバ1頭は、のちの老齢で入れ歯をして有名になった“一文字号”である。 | |
1940年 | 昭和15年 | 年間入園者がはじめて300万人を超える。 | |
1941年 | 昭和16年 | 12月、太平洋戦争始まる。 | |
1942年 | 昭和17年 | 南方軍を経て、マレー・ジョホールのサルタンより、ニルガイ、シマウマなどが到着。 | |
1943年 | 昭和18年 | 14 種 27 頭の動物が殺処分される(戦時猛獣処分) 戦時猛獣処分は、戦争中の空襲に備えて、逃亡すると人間に危害を与える可能性のある猛獣類を、薬殺や餓死などによって殺処分するもので、世界各地で行われました。 日本でも上野動物園を皮切りに、各地の動物園で実施されました。 上野動物園における 3 頭のゾウの餓死による殺処分は、童話「かわいそうなぞう」などを通して特に有名になりました。 |
1945年 | 昭和20年 | 3月、東京大空襲のあと、エサ不足により、カバも処分される。 | |
1945年 | 昭和20年 | 8月、終戦。戦時下では動物のエサが不足し、肉の代わりに魚を与えたり、干し草の代わりに落ち葉を与えたりはしたものの、それでも維持が難しくなっていきました。こうして、猛獣処分の対象にならなかった動物たちも、エサ不足を理由に殺処分されたり、栄養失調で死んだり、肉食獣の食用にされたりしました。 | |
1946年 | 昭和21年 | 「かぼちゃの種子2合」での入園が始まる。 | |
1947年 | 昭和22年 | 名称が、東京都恩賜上野動物園となる。 | |
1948年 | 昭和23年 | 子ども動物園が開園し、お猿電車が開通。年間入園者が200万人を超える。 | |
1949年 | 昭和24年 | ・アメリカ・ユタ州ソルトレーク市より贈られたライオン、ピューマ、コヨーテなどが到着。 ・インドのネール首相からアジアゾウの“インディラ”が贈られ到着する。 ・タイからもアジアゾウが 1 頭、贈られる 。タイからやってきたゾウは、戦時猛獣処分で死んだゾウの中の 1 頭「ワンリー」が「花子」と呼ばれていたことから、2 代目として「はな子」と名付けられました。 ・年間入園者が350万人を超える。この年から1951(昭和26)年にかけて、東照宮周辺から不忍池北畔まで園域の大拡張がおこなわれた。 | |
1951年 | 昭和26年 | クロヒョウの繁殖に成功する | |
1952年 | 昭和27年 | 開園 70周年記念のライオンショーが行われる。海水水族館が開館。夏、アフリカよりカバ、キリン、クロサイ、シマウマ到着。 | |
1954年 | 昭和29年 | ・タイからやってきたゾウ「2代目はな子」が井の頭自然文化園に移される。2013年に国内のアジアゾウの最高齢記録を更新し、2016年に69 歳で死す。テレビドラマやドキュメンタリー番組、書籍でもとりあげられています。 ・タンチョウの繁殖に成功する | |
1956年 | 昭和33年 | カバの繁殖に成功する 1953年 マングース・マナヅルの繁殖に成功する | |
1957年 | 昭和32年 | モノレールが開通、日本初。ゴリラ来園。 | |
1961年 | 昭和36年 | ・オランウータン・カリフォルニアアシカの繁殖に成功する。 ・「いそっぷ橋」完成。名称は一般から募集し、詩人のサトウハチロー氏の審査で決定した。 | |
1962年 | 昭和37年 | ジャガー・コビトカバ・ラマの繁殖に成功する | |
1964年 | 昭和39年 | ・大水族館が開設。 ・ヨーロッパフラミンゴの繁殖に成功する。 | |
1965年 | 昭和40年 | ビーバーの繁殖に成功する | |
1967年 | 昭和42年 | 大改造計画による工事が開始。ゾウ舎が完成。 | |
1972年 | 昭和47年 | 日中国交回復を記念して、ジャイアントパンダのカンカンとランランが来園。瞬く間にパンダブームが起こる。以後、年間入園者が700万人を超える年が続く。 |
1975年 | 昭和50年 | ケープペンギンの繁殖に成功する | |
1977年 | 昭和52年 | ・マナヅルの人工授精に成功する。 ・西園改造工事、開始。 | |
1979年 | 昭和54年 | ジャイアントパンダのメス“ランラン”死亡。 | |
1980年 | 昭和55年 | 1月 | ジャイアントパンダの新しいメス“ホァンホァン”来園。 |
6月 | ジャイアントパンダのオス“カンカン”死亡。 | ||
7月 | 西園改造工事、完成。” | ||
1981年 | 昭和56年 | イワトビペンギンの繁殖に成功する | |
1982年 | 昭和57年 | 3月20日、開園100周年記念式典を挙行。11月、ジャイアントパンダのオス“フェイフェイ”が北京動物園より来園。 | |
1984年 | 昭和59年 | スマトラトラの繁殖に成功する。アジアゾウのメス“アーシャー”と“ダヤー”が来園。 | |
1985年 | 昭和60年 | チンパンジーの人工授精に成功する / パンダの人工授精に成功するが、誕生 2日後に母親の下敷きになり死亡する。 | |
1986年 | 昭和61年 | ゴリラ・トラのすむ森が完成する。 | |
6月 | ジャイアントパンダのメス誕生。 | ||
12月 | ジャイアントパンダのメスの名前を“トントン”と命名し一般公開。名前募集には27万通を超える応募があった。 | ||
1988年 | 昭和63年 | 6月 | ジャイアントパンダのオス“ユウユウ”が誕生。 |
平成時代
西暦 | 年号 | 月日 | おもな出来事 |
1989年 | 平成元年 | 都立動物園が分担して飼育繁殖に取り組む「ズーストック計画」を開始される。これにより、動物たちの福祉に配慮した広い飼育繁殖施設として、「ゴリラ・トラの住む森」、両生爬虫類館(ビバリウム)、「ゾウのすむ森」、「クマたちの丘」などがオープンする。 | |
10月 | 開園100周年記念事業の葛西臨海水族園が開園。 | ||
1990年 | 国内で初めてアムールヤマネコ、ベルツノガエルの繁殖に成功する。 | ||
1991年 | 平成3年 | ズーストック計画にもとづき、ライオンを多摩動物公園に移動。 | |
1992年 | 平成4年 | 11月 | ジャイアントパンダの“リンリン”が到着し、“ユウユウ”が北京動物園に行く。 |
1996年 | 平成8年 | 4月 | 「ゴリラ・トラの住む森」オープン。 |
1997年 | 世界最高齢だったゴリラのブルブルが推定 44 歳で死亡する | ||
1999年 | 平成11年 | 生爬虫類館(ビバリウム)オープン。 | |
2000年 | 平成12年 | 7月 | ・ニシローランドゴリラ“モモコ”がオスを出産。“モモタロウ”と命名。 ・ジャイアントパンダの“トントン”死亡。 |
10月 | モモタロウ公開。 |
2001年 | 平成12年 | マダガスカルより、アイアイ、ハイイロジェントルキツネザルが到着。11月、共同繁殖計画にもとづき、ジャイアントパンダの“リンリン”がメキシコ・チャペルテペック動物園に貸し出される。” | |
2002年 | 平成13年 | よこはま動物園ズーラシアからの貸与によりメスのライオンが来園し、ライオンの展示を 11 年ぶりに再開する。ニシローランドゴリラ“モモコ” “モモタロウ”親子が千葉市動物公園に帰る。 | |
2003年 | アイアイ・タテガミオオカミの繁殖に成功する | ||
12月 | メキシコ・チャペルテペック動物園より、ジャイアントパンダのメス“シュアンシュアン”が来園。共同繁殖計画のため、2005(平成17)年まで滞在した。 | ||
2004年 | 平成16年 | ゾウのすむ森が完成する | |
2005年 | 平成17年 | サポーター資金による展示改善で、「カワウソチューブ」、カナダヤマアラシの展示場が完成。 | |
2006年 | クマたちの丘が完成する。 | ||
12月 | ニホンツキノワグマ“クー”冬眠に成功。 | ||
2007年 | 新フラミンゴ舎オープン。タロンガ動物園よりニシローランドゴリラのオス“ハオコ”来園。 | ||
2008年 | ジャイアントパンダのリンリンが死亡し、上野動物園にパンダがいなくなる。インドネシア・タマンサファリからスマトラトラのメス“マニス”来園。 | ||
2009年 | 平成21年 | ヒガシクロサイの“アルゴ”初出産、メスの“ミミカ”誕生。「 アイアイのすむ森」が完成する。ニシローランドゴリラの“モモコ”がメスを出産、“コモモ”と命名。 | |
2011年 | 平成23年 | 2月21日 | 中国からの借り受けにより、パンダの雄「比力(ビーリー)、5歳5か月」と雌「仙女(シィエンニュ)、5歳7か月」が来日。来日にあたっては、中国当局に対するレンタル料および研究資金として、諸外国の同種施設と比べて約10倍の金銭の投資(日本8千万円、アメリカ4千万円、イギリス9百万円、東南アジア諸国5百万円ほど)をしたことが奏功し、およそ3年ぶりにパンダが観覧できるようになる。その後日本名がリーリーとシンシンに決まる。。東日本大震災の影響で、3月17日より31日まで閉園し、4月1日の再開とともにジャイアントパンダも公開。「ホッキョクグマとアザラシの海」オープン。 |
3月9日 | 東京都が、パンダの日本名と一般公開日を発表。雄は「リーリー(力力)」、雌は「シンシン(真真)」に、公開日は3月22日の13時。 | ||
3月11日 | 東日本大震災が発生、目立った被害はなし。 | ||
3月17日 | 東日本大震災の影響で 3 月 17 日から 31 日まで休園する。これにより、22日のパンダ一般公開も無期限延期とされる。この間、ホッキョクグマとアザラシの海が完成する | ||
4月1日 | 動物園が再開(節電のため開園時間は当分の間通常より1時間半短縮)。延期していたパンダ2匹の一般公開開始。 | ||
4月16日 | 東日本大震災が遠因の怪我や内臓機能障害により、カバの「サツキ」が死亡 |
2012年 | 4月 | ジャイアントパンダ(2頭)を約3年ぶりに公開。同年10月には、広い放飼場を備えた「ホッキョクグマとアザラシの海」もオープンしました。 | |
6月30日 | パンダのシンシンに妊娠の兆候が確認されたため展示を中止 | ||
7月5日 | パンダのシンシンが同日12時27分、リーリーとの間に第1子(オス・体重133.1グラム)を出産する。 | ||
7月11日 | シンシンの第1子が同日午前8時30分、シンシンの母乳を誤嚥したことによる肺炎のため死亡赤ちゃんは生後 6 日で肺炎により死亡する | ||
2013年 | 平成25年 | ニシゴリラの“モモコ”が第3子となるメスを出産、“モモカ”と命名。ジャイアントパンダの“シンシン”に妊娠の兆候があらわれたが、偽妊娠と判定。105年ぶりにハリモグラを展示。 | |
2014年 | 平成26年 | 管理事務所が3月10日に西園へ移転、耐震化のため6月23日に動物園ホールを閉鎖し解体。ハワイ・ホノルル動物園所有のスマトラトラのオス“ケアヒ”がブリーディングローンにより来園。 | |
2015年 | 平成27年 | 西園施設整備のため8月18日から弁天門を一時的に閉鎖。 | |
2016年 | 平成28年 | 4月1日〜 | 耐震化工事が本格化。表門の使用を4月1日から8月8日まで一時的に停止し、工事期間中は旧正門を臨時門として使用。東園無料休憩所を4月1日から閉鎖。アジアゾウの“ウタイ”が妊娠するが流産。 |
中華民国の新竹市立動物園と、友好交流協議書に調印する。 | |||
2017年 | 平成29年 | 6月12日 | 午前11時52分、ジャイアントパンダのシンシンが第2子となるメスを出産。“シャンシャン”と命名。ニシゴリラのモモコがオスを出産、“リキ”と命名。子ども動物園が移転して「子ども動物園すてっぷ」としてリニューアルオープン。 |
8月13日 | 豊橋総合動植物公園で飼育していたマーラが死亡。 | ||
9月25日 | シンシンの子パンダの名前が「シャンシャン(香香)」に決まる。同年12月18日、報道公開される。 | ||
2018年 | 平成30年 | 表門の改修工事のため仮設表門を使用開始。希少動物の保全のため、アメリカのホワイトオーク保護センターからオカピのオス“バカーリ”が、みさき公園からスマトラトラのオス“ブラン”が来園。 | |
2019年 | 2月3日 | カセンイ (オカピ)が24歳で死亡。 |
令和時代
西暦 | 年号 | 月日 | おもな出来事 |
2019年 | 令和元年 | 5月31日 | 満2歳を迎える時期に中国に返還される予定だったシャンシャンの返還時期が2020年12月31日に延長されたことが発表された。 |
11月1日 | 上野動物園モノレールが営業休止。 | ||
11月27日 | モハン(インドライオン)が17歳で死亡。最後の1頭だったため上野動物園からライオンがいなくなる。 | ||
2020 | 令和2年 | 2月29日〜6月22日 | 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止のため、その他の都立動物園・水族園とともに臨時休園。 |
9月8日 | ジャイアントパンダとその生息地でみられる動物の飼育施設・「パンダのもり」が西園にオープン。 |
~1990 年代以降の上野動物園の取り組み~
自然環境に近づけた環境で動物を展示するため、各展示スペースを順次リニューアル ・多摩動物公園など他の都立動物園と共に、ズーストック計画(動物保管計画)に参加。
ズーストック計画とは?
動物の研究や保護などを行うことは、動物園の大切な役割です。
野生動物保護の観点から言えば、できる限り自分たちで繁殖させた動物を展示するのが動物園の本来の姿であり、更には、一部を野生に供給することができれば理想的です。
「ズーストック計画」は、複数の動物園や水族館が協力して、絶滅の恐れがある希少動物などの繁殖・保護を計画的に行う事業です。
繁殖に成功すれば動物園で展示することもでき、場合によっては自然に返すこともできます。
東京都のズーストック計画では、各動物園・水族館が、それぞれが担当する動物の繁殖に取り組んでいます。
上野動物園は、ジャイアントパンダ、スマトラトラ、ベンガルヤマネコなどの担当になっています。
動物を繁殖させるためには、優秀な飼育員を育てる、飼育環境を充実させる、データ管理システムを整備するなど、費用がかかります。
私たちがお客さんとして入場料を払って動物を見て楽しんだり、知識を深めたりすることは、こういった動物園の取り組みを応援することにも繋がっているんですね。
※「繁殖に成功」、「人工授精に成功」の例は、上野動物園が日本で初めての事例だったもので、ここで紹介するのはその一部です。
※1956年には、ある種類の動物の繁殖に日本で初めて成功した場合に授与される「繁殖賞」が日本動物園水族館協会により制定され、上野動物園も多くの受賞歴を持っています。
上野動物園の歴代園長について
黒川義太郎 1906年~(初代動物園主任)
黒川義太郎は、1892年に上野動物園で初めての専任獣医師として採用され、後に主任となりました。
1933年に退任するまで、4 年に渡って上野動物園で勤務しました。
初代 古賀忠道 1937年~ ※初めて「園長」という役職名になる
2代 林寿郎 1962年~
3代 今泉英一 1966年~
4代 浅野三義 1969年~
5代 石内展行 1972年~
6代 浅倉繁春 1978年~
7代 中川志郎 1987年~
8代 田代和治 1990年~
9代 増井光子 1992年~
10代 齋藤勝 199年~
11代 安部義孝 1998年~
12代 菅谷博 2000年~
13代 小宮輝之 2004年~
14代 土居利光 2011年~
(現在)15代 福田豊 2017年4月1日~
上野動物園へのお問い合わせ先 「住所・電話番号・営業時間・定休日(休園日)・URL」
住所:東京都台東区上野公園 9-83
電話番号:03-3828-5171(休園日を除く 9 時 30 分~17 時)
ホームページ:http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/ (東京ズーネット)
営業時間(開園時間):9時30分~17時(入園および入園券・年間パスポートの販売は16時まで)
※動物によっては、16時30分ごろから寝小屋に入り、見られなくなる場合があります。
※開園時間は変更することがあり
定休日(休園日):月曜日(月曜日が祝日や振替休日、都民の日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日~翌年1月1日)※一部の月曜日を開園することもあり
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