浅草寺・三峯神社【埼玉県秩父・三峯神社の末社】

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浅草寺・三峯神社

  • 創建年:不明
    ※推定:1813年(文化10年)以前
  • 建てた人物:不明

三峯神社の読み方

「みつみね」じんじゃ

三峯神社の歴史・由来

当神社は修験道(しゅげんどう)の関東総本山とも呼ばれる埼玉県秩父に総本社をもつ、三峯神社の末社です。

1813年(文化10年)に編纂された浅草寺志によれば、境内各所に様々な信仰や由来をもつ神社が点在している姿が記されており、往時はこの三峯神社も現在、弁天堂が建つ、弁天山に建っていたようです。

同時にこの頃、あらゆる信仰が江戸に集まっていた背景を物語ってい‥申す。

ただ、当神社がいつ頃から浅草寺境内にあるのかは不詳とされており、1813年以前には境内に存在したいたと考えられまする。

しかしながら、弁天山は太平洋戦争にて罹災、境内ことごとく灰燼に帰す。

その後、三峯神社は現在地に復興・再建されてい‥‥申す。

⬆️三峯神社の扁額。金字が色鮮やか


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三峯信仰では狛犬像ではなく「狼像」

三峯信仰では山犬を山神として崇拝することから、境内には狛犬は置かれず、山犬(狼)が置かれまする。

この浅草寺境内の三峯神社は小規模なので、境内地と呼べるものは皆無に等しく、山犬像はありんせん。

狼が山の神とされた要因の1つに、農家にとって害獣となる猪や鹿を襲って食べる狼が、農作物を守る眷族・神使として崇められるようになり、やがて「お犬さま」と呼び習わす信仰が誕生します。

このような三峯信仰は、およそ江戸時代中期から秩父地方を中心に山岳信仰と習合しながら、日本中に伝播していくのです。

三峯神社では創建時から狼が祀られていたのか?

三峯神社は創建時から狼が祀られていたワケではありんせん。そもそも当社の創建は日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)を三峰山に祀ったのが当社の起こりとされてい申す。

三峯神社で狼が崇拝されたのはいつ頃?なぜ狼が崇拝されるのか?

1727年、日光法印という僧侶が三峰山に入山して草庵を結び、修行に明け暮れていたある日のこと、山中から、もののけ姫に登場するモロのようなどデカイ狼が1匹、忽然と姿を現したそうな。

その狼は、しばらくその場所を微動だにせず、長らくの時を経て立ち去ったそうな。

これに神気を見出した日光法印は、三峯社にて狼の画像を描いたお札を作り、それを農作物を食い荒らす猪鹿を払うご利益があるとして、民百姓へ授けたところ、霊験この上なくあらたかに、あっちゅ〜間にこの話が広まったとのこと。

やがて、修験者たちも全国の村々を練り歩きながら山犬信仰(三峯信仰)の”功徳”を女性を”口説く”ほどに説き明かし、関東・東北を中心に「三峯講」という組織が形成されるほどまでに発展し申す。

増上寺ができたのち、浅草寺の権威は失墜しましたが、それでも浅草寺は将軍家(徳川家)の祈願寺であることには変わらず、賑々しさは変わらず、その大寺院の境内に三峯神社が建っている事実を加味しても、信奉者がそれなりに多かった往時の様子を如実に物語ってい‥‥‥申す。

「三峯」の名前の由来

三峯神社の三峯とは前述したように三峯信仰からきているのじゃが、では「三峯」とはなんぞや?‥‥‥ということに差しあたり申すが、

神社の東側に雲取山、白岩山、妙法嶽という”三つの峰”を有する君の瞳の中に映る僕の瞳の中に映る君‥より、美しい連山が立ち並び、つまり、この「三つ峯=三峯」が名前の由来になったと云われ申す。

他説では、熊野で誕生して派生した修験道と深い関わり合いがあることから、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)3つの神社が、”三つ峯”と習合して”三峯”となったという説もあり申す。

三峯神社の場所(地図)

影向堂の付近、近くに一言不動尊があり申す。

 

三峯神社の近くにある建造物一覧

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