浅草寺・本堂の「志ん橋」の大提灯!値段はいくら?読み方や由来・意味を…そんなに知りたぃ?

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浅草寺・本堂「志ん橋(新橋)」大提灯

  • さ:4.5m
  • 横幅(直径):3.6m
  • 重さ:約600kg
  • 制作会社:高橋堤燈株式会社(京都市下京区
  • 紙の材質:因州和紙(いんしゅうわし)※鳥取県の伝統工芸品
  • 寄進者(発願者):東京新橋組合(東京都中央区銀座)
    ※浅草・新橋の崇敬者

浅草寺の本堂にも雷門に負けじと劣らぬ「クソでかい大提灯」が吊られていまする。

この提灯は浅草・新橋に住む、古くからの崇敬者の方々の寄進によって奉納されたものですが、現在は東京都中央区銀座にある東京新橋組合という組織として不定期に奉納されてい‥‥‥申す。

そこでこんな疑問が出てくるのではゴザんせんかぃ?


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なぜ”新橋”ではなく”志ん橋”?

ちょぃと下掲の字をご覧くだせぇ。ハぁフぅ

浅草寺・本堂「新橋」大提灯(だいちょうちん)

この文字は「志」と書いて「し」と読みます。

あまり知られていませんが、平安時代以降、明治初頭までの間、なんとぉぅ!様々な字体が用いられ、現在のように特に定まっていませんでした。

これを現代では「変体仮名(へんたいがな)」と呼んでいます。 ワテ、変態がな

ところが、明治初頭となる1900年頃、学校教育の現場にて、ひらがなの字体を統一する決まりになり、以後は、字体が統一されてい‥‥‥申す。

つまり、変体仮名を用いている時点で、現代語の枠に捉われない、”なんでもあり”という発想になりますので、「志」と書いて「し」と読んでも違和感はあっても不思議はないのです。

ところで「東京新橋組合」とは?

東京新橋組合とは「新橋花柳界」を支える東銀座から築地一帯の料亭、茶屋、芸 者置屋で構成される組合です。


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浅草寺・本堂「志ん橋(新橋)」大提灯の歴史や由来

本堂へ「志ん橋」と書かれた提灯が奉納されるようになった歴史はまだ浅いのですが、「志ん橋」と書かれた提灯が奉納されたいたのは江戸時代からです。

ちょぃと下掲画像をご覧くだせぇな。

画像引用先:国立国会図書館

上掲の浮世絵は江戸時代中期頃〜後期頃、著名な浮世絵師「歌川広重」によって制作された「浮絵浅草寺雷門之図」です。

1720年(享保5年)頃の雷門の姿が描かれているのですが、なんと!大提灯の姿がどこにも見当たりません。

これは雷門の大提灯の奉納が、1795年(寛政7年)の雷門再建時より開始されたためです。

ただし、当初は「雷門」と書かれた大提灯ではなく「志ん橋」という文字が書かれており、のちに時代を下る過程においても「志ん橋」とも書かれるようになっています。

もちろん、「志ん橋」という文字が揮毫されていることからも理解できるように、奉納者は新橋界隈で商いを営む方々や、芸者衆・料亭一同の方々です。

平成6年の奉納までは「飾文字」だった!

昭和33年から平成6年に執り行われた7回目の奉納までは、右上に「志」を 置き、髭を伸ばすようにして「ん」を描き、「橋」を左に置いた「飾文字」が用いられてい申した。
※注釈※飾り文字とは普通の文字に飾りをつけた文字のこと

ところが、平成16年の奉納時より、江戸時代の浮世絵師・歌川広重 が描いた「浮絵浅草寺雷門之図」に見える旧字体を用いて書き入れる話でまとまり、江戸文字の「志ん橋」へと改変されます。

文字は、江戸文字書家の橘右之吉氏が揮毫したものです。

以後も、橘右之吉氏の文字が継承されてい‥‥‥申す。

本堂の大提灯を作っている会社はドコ?

本堂の大提灯も雷門の大提灯と同じく、「高橋堤燈株式会社(京都下京区/亨保15年(1730年)創業)が制作にあたっています。アタぁ!アチョぉぅ!

提灯に使用される和紙は、鳥取県の伝統工芸品である最上質の「因州和紙」が使用されてい‥‥‥申す。

本堂に提灯が奉納され始めたのはいつ?

浅草寺本堂は昭和20年3月10日未明に起こった東京大空襲によって灰燼に帰し、昭和33年(1958年)に再興され今日に至りまする。

この再建の折、東京の新橋の崇敬者たちは新橋の盛況ぶりを再び取り戻そうと、本堂の再興を奉祝して大提灯を用意し、その中央にデカデカと大きく『志ん橋』と揮毫して奉納してい‥‥‥申す。

なぜ新橋の人たちは離れた浅草へ提灯を奉納した?

江戸時代を通じて浅草は、江戸城下・天下を治める将軍家のお膝元、将軍家の祈願寺として華々しく隆昌した浅草寺の門前町として拓かれた一大遊興地でした。

そんな浅草には各地から多くの人が訪れ、”人あるところに昌運(商運)の兆しあり”。の言葉が示すとおり、浅草界隈の通りに名前の書いた提灯を吊るしておくだけで道ゆく人々の目に止まり、目にした人々は自分の周りの人に伝える。

つまり、絶大な宣伝効果があったのです。

そこで新橋界隈で商いをする人々は浅草から新橋へ人を引き込むために、共同出資して提灯を制作し、それを浅草寺へ奉納したんでさぁ。

その中心となったのが新橋花柳界に携わる人々です。東銀座から築地一帯の料亭、茶屋、芸者置屋….などなど。

実際に提灯の奉納者の名前を見ると芸者さんらしき名前もチラホラ💋 芸妓さんとLINE交換

ただし、現在見られるような「志ん橋」の大提灯を奉納しはじめたのが、昭和33年(1958年)からのことです。

昭和20年3月10日未明に起こった東京大空襲では浅草寺本堂はじめ境内堂塔が灰燼に帰し、その再建の落成を記念した意味を込めて奉納したのです。うきゃ

2020年5月にも奉納されており、歴代9代目の提灯(9回目の奉納)となりまする。(前回は平成16年12月なのでおよそ16年ぶりの奉納)


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浅草寺の大提灯には好きな文字を書き入れて奉納することができる?

あまり知られていないようですが、実は浅草寺の大提灯には奉納者自身が好んだ文字を書き入れることができまする。

浅草寺は神仏に奉仕する寺院なれど、人と物が介在すると運営費というものがつきもの。そこで冥加金(みょうがきん)を奉納していただくという形で提灯奉納の自由権を認めたのでしょう。

「志ん橋」の大提灯の下部(底面)龍の彫刻の作者は誰?

この「志ん橋」の大提灯も高橋提灯(株式会社)が手がけていることもあり、龍の彫刻は雷門、宝蔵門の大提灯と同じく、木彫師の渡辺崇雲氏の仕事です。

一枚板に龍の姿の彫り物が見事に表現されてい‥‥‥申す。

龍の彫刻が用いられた理由は、浅草寺が創建された故事に由来するものです。詳細は下記ページにて述べてい‥‥申す。グハっ

ところで‥‥『志ん橋の大提灯の値段はいくら?』

大提灯の取り付け作業をされているときに一度、高橋提灯さんに聞いたことがあるのですが、どうやら大提灯の値段は公表していないようです。

これはプライベート事情にも関わってくることなので、あくまでも秘密とのこと。

しかしながら、目算はできます。

実は宝蔵門に奉納される小舟町の大提灯が、およそ500万円から600万円ほどだと言われます。これは奉納者のボスである東京日本橋連合町会長さんがインタビューで明かしています。

つまり、「志ん橋」の大提灯もそれに近い金額と考えることができ申す。

目算が成り立つ理由として、浅草寺の大提灯はすべて京都の高橋提灯という会社の制作によるものなので、おおまかな値段の目算が立つのです。

なお、浅草寺の大提灯はそれぞれ大きさが異なるのですが、大きさだけで言えばこの「志ん橋」の大提灯が最大の大きさを誇りまする。

次いで大きいのが、雷門の大提灯なので、小舟町の大提灯が3つの中で最小サイズであることを加味すれば、残り2つの提灯の値段も推定はできます。(※但し、二天門の大提灯を含めた場合、最小サイズは二天門の大提灯)

う〜ん‥‥‥

1000万円まではいかないとして、おおむね800万円ぐらいと推定しますねぇ。

さぁ〜て、あなたの答えはいかに?

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