浅草・浅草寺「久米平内堂」

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浅草・浅草寺「久米平内堂」

浅草寺・久米平内堂

再建年

  • 1979年(昭和54年)
建築様式(造り)

  • 宝形造り
屋根の造り

  • 銅葺き

浅草寺・久米平内堂の読み方

浅草寺の境内には、おおよそ読みにくい名前のお堂や仏像がありますが、久米平内堂は「くめのへいないどう」と読みます。

久米平内堂の歴史・由来


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浅草寺で、女性に優しい神様、仏様と言えば「淡島堂」の淡島大明神ですが、恋する乙女に優しいお参りスポットが境内の中にあるのをご存じですか?

雷門から本堂へ向かう途中、宝蔵門を前にして右手へ行くと、緑ののぼりに「久米平内堂」の文字が見えます。

のぼりの並ぶ奥へ進むと、小さなほこらがあります。

これが「久米平内堂」です。

江戸時代に建てられましたが、1945年(昭和20年)に空襲で焼けてしまい、現在の建物は1979年(昭和54年)に再建されたものです。

屋根の造りは、銅葺(どうぶき)で、宝形屋根の上には珠が一つのっており、ほこらの木の扉には、彫刻が彫られています。

中には久米平内という人物に由来する石がまつられています。

久米平内とは、講談(落語のようなもの)にも登場する、ちょっと名の知れた人物です。

久米平内って?どんな人?

久米平内とは、江戸時代前期に実在した武士です。

久米平内は一説によれば、首切り役人であったと言われています。

首切り役人とは、罪を犯した人の首を切る死刑執行者です。

また、一説によれば、そうとうな剣の使い手で、1000人斬りをしたいと願って、夜な夜な辻斬りにでかけていたとも言います。

久米平内に残る様々な「ウワサ」

人とは、怪しいことや謎を知りたいと思うものです。

つまり、久米平内を調べる人間が数人おり、調べた人々それぞれの主観が影響して、さまざまな噂が飛び交うことになります。

その結果、「武勇伝」や「辻斬り」などと言った様々な噂が混在して残ることになり、久米平内と言う人物の本当の経歴や生い立ちを知る者はいないと云われています。

んん??・・「久米平内の石」??

久米平内堂の中には「石」があります。

この石は、平内が自分の石像を彫り、現在の宝蔵門である仁王門の脇に埋めたものです。

この石も、一説には平内がたくさんの人をあやめてしまったから、その罪滅ぼし・・と言うより、罪から逃れるために、浅草寺の参拝者に踏んでもらったと云われています。

もう一説は、坐禅を教えていた平内が、その看板として「仁王坐像」のスタイルを彫った石を埋めたのだとされています。

久米平内堂には縁結びのご利益(効果)がある?!

実は、久米平内には、意外なご利益が語り継がれています。

そのご利益と言うのが「縁結び」です。

いっけん、全く「縁結び」とは、関係がないように思えます。

しかし、さすがは洒落のきいた江戸っ子と言ったところで、なんと!石を「踏みつける」ことから「文つける」「ラブレターを送る」ことへ意味が転じて行ったのです。

石を踏みつけて、「文をつけたことにする」つまりは「自分の恋心が届きますように・・」と願うのですから、江戸時代の人は本当にロマンチストですね。

しかし、踏んでいる石が、たくさんの人を殺した人物の像なんて、なんとも物騒な話です。

他にも、久米平内堂の左脇には「浅草・うまいもの会」により、造られた「縁結び絵馬奉納箱」があります。

ただし浅草寺では、縁結び絵馬の授与は行っていないようです。

代わりに、恋文を投函すると、願いが叶う(恋が叶う)と言われています。

浅草寺・久米平内堂の場所

浅草寺・久米平内堂は、宝蔵門を向かって見て右手前にあります。

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