浅草・浅草寺の歴史と年表
浅草・浅草寺の歴史と名称と由来
- 山号:金龍山
- 寺号:浅草寺(通称:浅草観音)
- 宗派:聖観音宗(総本山)
628年に、漁師の兄弟が川で仏像を見つけ、それを祀ったのが浅草寺の起源と言われています。
「金龍山」という山号は、聖観世音菩薩のお出ましを喜び、空から金の龍が現れたという伝説によるものです。
したがって、浅草寺には、いたるところで龍を見つけることができます。
例えば、雷門や宝蔵門の大提灯の裏側の龍の彫刻は迫力満点で、隠れた人気者になっています。
もともとは天台宗のお寺でしたが、1950年に独立して聖観音宗(しょうかんのんしゅう)を名乗っています。
浅草寺の本尊と「御前立本尊」
川からすくい上げられたと言われる聖観世音菩薩像は、観音堂を建立し、浅草寺の開基とされる勝海上人(しょうかいしょうにん)の夢のお告げによって、645年に秘仏と決められました。
江戸時代までは本尊の開帳もあったようですが、現在は完全に秘仏となっています。
平安時代の857年には、浅草寺を訪れた円仁(慈覚大師)により、御前立(おまえだち)の聖観世音菩薩像が造られ、納められました。
御前立とは、秘仏の代わりに人々が拝む対象となる像のことで、形は本来のご本尊そっくりです。
通常は12月13日のみの開帳ですが、過去には本堂完成50周年の記念などで特別開帳が行われています。
浅草・浅草寺の歴史(年表)
浅草寺の飛鳥時代
年 | 歴史 |
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628年 | 漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)が、川から仏像をすくい上げる。 郷司の土師中知(はじのなかとも)がそれを祀り、自宅を寺とする。 |
645年 | 勝海上人が本堂を建立する。本尊を秘仏と定める。 |
平安時代
年 | 歴史 |
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857年 | 円仁(慈覚大師)がお前立本尊を造る。 |
942年 | 平公雅(たいらのきんまさ)がお堂や伽藍を整える。 ※平公雅は、安房国(現在の千葉県の一部)の領主でした。 武蔵国(現在の東京都、埼玉県と神奈川県の一部)への配置換えを浅草寺で祈願したところ、それが叶ったということで、お礼の意味を込めた事業だったようです。 |
1041年 | 大震災により、本堂が倒壊する。 |
1051年 | 寂円上人により、本堂が再建される。 |
1070年 | 源義家(八幡太郎)が奥州征討の途中で参拝する。 |
1079年 | 火事により炎上する。その後再建される。 |
1180年 | 源頼朝が平家追討の必勝祈願に訪れる。 |
室町時代
年 | 歴史 |
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1378年 | 火事により炎上する。 |
1387年 | 鐘を鋳造する。 |
1398年 | 定済上人により再建される。この頃、「浅草寺縁起」がまとめられる。 |
1462年 | 落雷により炎上する。その後再建される。 |
1493年 | 火事により炎上する。 |
1535年 | 火事により炎上する。 |
1539年 | 小田原の北条氏綱により再建される。 |
1572年 | 火事により炎上する。 |
安土桃山時代
年 | 歴史 |
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1581年 | 北条氏直により再建される。 |
1590年 | 徳川家康が浅草寺を祈願所に定める。 |
江戸時代
年 | 歴史 |
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1618年 | 家康の娘婿である浅野長晟(あさのながあきら)が石橋を寄進する。この時、随身門(現在の二天門)も完成する。 |
1631年 | 火事により炎上する。※この庭園は、2011年に国の名勝に指定されています。現在は非公開です。 |
1635年 | 本堂が再建される。この頃、伝法院の庭園が造られる。 |
1636年 | 徳川家光が参拝する。以降度々訪れる。 |
1642年 | 火事により炎上する。 |
1648年 | 五重塔が再建される。 |
1649年 | 本堂・宝蔵門が再建される。 |
1662年 | 「浅草寺縁起」の絵巻が奉納される。 |
1685年 | 仲見世の前身となる商店が開業する。 |
1712年 | 温座陀羅尼秘法が初めて行われる。 ※現在では毎年1月12日から18日に行われます。 |
1767年 | 火事により雷門が炎上する。 |
1772年 | 江戸大火により伝法院と多くの古文書などが焼失する。 |
1795年 | 雷門が再建され、「雷門」と書かれた提灯が初めて吊るされる。 |
1827年 | 本尊示現1200年目を記念し、開帳が50日間行われる。 ※示現とは、仏がこの世に現れることです。 |
1865年 | 火事により雷門が炎上する。 |
明治時代
年 | 歴史 |
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1897年 | 菊供養が初めて行われる。 ※現在では毎年10月18日に行われます。 |
1910年 | 大洪水により非難してきた人々のため、浅草寺救護所(浅草寺病院の前身)を設置する。 |
大正時代
年 | 歴史 |
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1923年 | 関東大震災の際の火事により、仲見世と伽藍の一部が炎上する。 |
昭和時代
年 | 歴史 |
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1945年 | 戦火により本堂、宝蔵門、五重塔などが炎上する。 |
1958年 | 本堂が完成し、記念の開帳が45日間行われる。 |
1960年 | 松下幸之助氏の寄進により、雷門が95年ぶりに復活する。 |
1964年 | 宝蔵門が完成し、記念の開帳が30日間行われる。 |
1973年 | 五重塔が完成する。 |
1978年 | 本尊示現1350年を記念し、開帳が行われる。 |
1983年 | 弁天堂が完成する。 |
平成時代
年 | 歴史 |
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1994年 | 慈覚大師西端1200年を記念し、お前立本尊の開扉が行われる。影向堂が完成する。 |
2003年 | 駒形堂が完成する。 |
2008年 | 本堂完成50周年記念の開帳が行われる。 |
2009年 | 二天門・二天王像が、1649年に再建された頃の姿に復元される。 |
終わりに・・
火事、雷、戦火により、何度も被害を受けた浅草寺ですが、その度に、僧侶たちが寄付を募ったり、時の権力者や財界人の協力を得たりして復活を遂げてきました。
国宝だった旧本堂などが戦火で焼け、現存しないのは大変残念なことです。
それでも、立派に再建された建物の1つ1つから、身分を問わず多くの人々に親しまれ、維持されてきた浅草寺の歴史を感じることができるでしょう。
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