浅草・浅草寺「九代目市川団十郎像(暫像)」
造立年
- 1919年
関連行事
- 浅草寺・泣き相撲
寄進者
- 十二代目・市川団十郎
市川團十郎(団十郎)の読み方
市川團十郎(団十郎)は「いちかわだんじゅうろう」と読みます。
市川団十郎は、歌舞伎で有名な名門・市川氏の家系を継ぐ名跡(みょうせき)であり、歌舞伎役者です。
市川団十郎とはどんな人だったのか?「生い立ちと歴史」
九代目・市川団十郎は、明治時代に活躍した歌舞伎役者で数多くの功績を残し「劇聖(げきせい)」とまで呼ばれた名歌舞伎役者です。
今でも、歌舞伎の世界で単に「九代目」と言うと、この市川団十郎を指すというくらい偉大な人です。
1903年に九代目が亡くなり、その16年後の1919年、浅草寺に九代目 市川団十郎像が設置されました。
本像の像容を見れば分かりますが、これは「暫(しばらく)」という役を演じている姿の銅像です。
ところが1944年、第二次世界大戦下に政府による「金属供出(貴金属類回収令)」の対象となり本像も供出されてしまいます。
それから42年が経った1986年、十二代目 市川団十郎襲名を機に元の場所に復元されたのが、現在の九代目 市川団十郎像です。
2013年に亡くなった十二代目・市川団十郎は、十一代目・市川海老蔵(いちかわ えびぞう)の父親で生前は俳優としても活躍したので、ご存知の方も多いでしょう。
しかし、九代目市川団十郎像の復元に取り組んだのが、なぜ「十二代目」だったのでしょうか。
それは、後継ぎのないまま九代目が亡くなったことが大きい要因でした。
「十代目」の名跡は、九代目の婿養子の死後に贈られたため、名前だけが継承された形になっていました。
その後、九代目の死後から59年経った1962年に、ようやく「十一代目」が襲名されます。
しかし、十一代目は襲名後3年で亡くなり、その長男が「十二代目」を襲名するまで、更に23年を要しています。
このような経緯があり、十二代目市川団十郎の襲名は歌舞伎界やファンにとって待ちに待った出来事でした。
そしてこの歴史的な出来事が、九代目市川団十郎像の復元に繋がったのです。
銘(碑文)
市川団十郎と浅草寺の「泣き相撲」
上述の名歌舞伎俳優である市川団十郎が演じた名物演目「暫」の主人公は、霊能力を持った少年です。
この少年には、前髪があることからも分かるように子どもです。
前髪があると何故、子供であるのかと言いますと、江戸時代以前では元服すると前髪を剃り上げて前頭をハゲにして後ろで髪を束ねる「殿カット」にする必要があったからです。
これにちなみ、九代目市川団十郎像の復元を機に毎年4月下旬に浅草寺の本堂裏で催されるようになったのが「泣き相撲」です。
「泣き相撲」は神事の1種でもあり、体の大きな学生力士さんたちが赤ちゃんを抱き、土俵に上がって、赤ちゃんの泣き声の大きさを競います。
「暫」のように強く、健康に育ってほしいという願いを込めたイベントですが、泣き相撲自体は日本に古くからある神事でもあります。
浅草寺・泣き相撲の日程・概要
- 開催日程:例年4月の末日頃
- 開催時間:12時30分から15時まで
- 開催場所:浅草寺・暫像(市川団十郎像)前
- 入場料金:無料
- 問い合わせ先(電話番号):03-3844-1221(浅草観光連盟)
「九代目市川団十郎像」の場所(地図)
九代目市川団十郎の銅像は、浅草寺境内の浅草寺病院の向かって左隣に立っています。
浅草寺本堂からの所要時間・距離
- 所要時間:約2分
- 距離:150m
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。