浅草寺🕸「六角堂」【東京都指定重宝文化財】
創建年
- 1618年(元和4年)
建築様式(造り)
- 六角造り
屋根の造り
- 桟瓦葺
大きさ
- 横幅:約1.8m
- 柱間:約1m
東京都指定有形文化財登録年月日
- 1952年(昭和27年)11月3日
- 1976年(昭和51年)7月1日(条例更新により再登録)
御本尊
- 日限地蔵尊
浅草寺・六角堂の読み方
浅草寺には、難しい漢字の表記で読みにくい名前のお堂や仏像が安置されておりますが、六角堂は「ろっかくどう」と読みます。
浅草寺・六角堂の「歴史・由来」
江戸時代の度重なる大火や関東大震災、東京大空襲の被害も奇跡的に免れて今に至り、浅草寺の中で、そして東京都の中で最古の木造建造物とされています。
また、六角形のお堂も都内においては大変珍しいもので、東京都の「指定有形文化財」となっています。
基礎部分も六角形で、下には井戸のような穴が掘られています。
境内整備のため今の位置に移されたのは1994年のことで、それまであった場所は、現在の影向堂の南側の基礎上に明示されています。
鉄筋コンクリート造りで朱色が鮮やかな影向堂の側に建っているだけに地味な印象ですが、屋根の美しい曲線や、表面に残るわずかな朱色から400年の歴史を感じてみてください。
また春には枝垂れ桜が見事で、人気の写真撮影スポットになります。
尚、この六角堂は創建当初は浅草寺の境内の東面に建立されておりましたが、1994年(平成6年)に現在の場所に遷(うつ)されています。
浅草寺・六角堂の建築様式(造り)
六角堂の屋根瓦の「桟瓦(さんがわら)」とは、弧を描くようにカーブした本瓦や平面の平瓦に対し「小さく波を打った形の瓦」のことです。
日本独自の形で、江戸時代に登場したと考えられています。
このような六角形のお堂を造営するのはテクニックもさることながら、方形のお堂より多額の造営費用も必要となり、おそらく名のある職人が携わったことから、その重要性が伺えます。
えぇっ?!六角堂の下には井戸がある?!
浅草寺に伝わる古文書の1つに「浅草誌」と呼称される書物があり、この書物によると六角堂は「井戸の上に造営されている」と言う記述があります。
現在では、この井戸の存在は定かではありませんが、礎石となる部分があり、11段もの階段を用いていることから地表から少し高い位置に建立されていることになります。
古文書の記述には、お堂の下に直径で約1.5mもの円形の穴が地中へ向けて掘られているそうです。
しかし実際、井戸であったかどうかは「謎」とされています。
六角堂が浅草寺のパワースポット?!
パワースポットと聞けば、一律に神社のことを思い浮かべてしまいます。
しかし、寺院にもパワースポットは存在します。
そもそもパワースポットとは森羅万象の理をもって位置づけられるものであり、神社や寺院などの隔たりはありません。
ただ寺院と言う部類でのパワースポットを位置づけるのであれば、その1つとして、この浅草寺・六角堂が挙げられます。
六角堂がパワースポットに挙げられる理由の1つとして、まずお堂の形状に起因するものがあります。
古来、このような多角形のモノは、それだけでパワーを得やすいと云われております。
これは「亀の甲羅」に由来し、陰陽術で用いる「式占(しきせん)」の1つに「風水羅盤(式盤)」を用いた術式があります。
これを例として、このような多角形の建造物もパワーを帯び易いと云われており、この六角堂にも数百年にも及ぶパワーが蓄積されているとみれます。
その上さらに、人々の崇敬の念が幾世紀にも及び集積されていますので、そのパワーは絶大です。
また、井戸の上にこのお堂が建っているのが事実であるならば、真下に水の源泉があるので、そのパワーは計り知れないものがあると推測されます。
浅草寺・六角堂の御本尊「日限地蔵尊」
期限を決めることを「日限を切る」と言いますが、本尊の「日限地蔵尊(ひぎりのじぞうそん)」は、その名の通り、「いついつまでに・・」と言った「日限を切って願い事をするとご利益がある」と云われているお地蔵さまです。
「日限地蔵尊」の由来は、1570年に会津藩主第12第蘆名盛氏がある夢の中での御神託に始まるものです。
その御神託とは「泥沼の底に眠る御地蔵様を救い出しお祀りせよ」との命を授かったとあり、夢から醒めるなりスグさま飛び起き、家臣一同を集めて城内(黒川城)や城外を調べさせたそうです。
すると、その直後なんと!城内から御地蔵様が3体も発見され、急ぎ寺院を「会津若松」に建立し、お祀りしたそうです。
その後、盛氏は毎月3日・5日・7日に訪れて祈願するようになり、以後、この風習が会津の民衆の間にも広まり、会津では長生きする人や難病で苦しむ人が激減したそうです。
これに由来して、この風習が日本全国に広まり、日本全国で日限地蔵尊がお祀りされることになっていきます。
なお、このとき蘆名盛氏が建立した寺院はのちに”西に見えた光(後光)”として「西光寺」と名付けられています。
しかしながら残念なことに、西光寺にあったこの3体の御地蔵様は、現在では日本中に散らばって奉安されています。
- 東京都港区白金・松秀寺
- 兵庫県明石市・法音寺
- 福島県会津若松市・西光寺
浅草寺・六角堂の場所(地図)
六角堂は、浅草寺・影向堂の敷地内に建っています。また近くに「薬師堂」もあります。
浅草寺本堂からの所要時間・距離
- 所要時間:約1分
- 距離:約80m
六角堂の見どころはシダレ桜!
六角堂を向かい観て左脇には、しだれ桜が自生しています。
この桜、早咲きの桜なので早ければ3月中旬には満開を迎えています。
そもそも浅草寺の境内は広大ですが、植物が植栽されていたり、自生している場所があまりないので、浅草寺境内で桜が観れる場所としては必見!うきゃ
影向堂と薬師堂に関しての詳細は以下のページをご覧くださいな。
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。