浅草・浅草寺「念仏堂(現・浅草寺病院)」
創建年
- 不明
「浅草寺診療所」設立年
- 1910年(明治43年)
焼失年
- 1923年(大正12年)9月1日
浅草寺・念仏堂の読み方
浅草寺の境内は、漢字の羅列で読みにくい名前のお堂や仏様が存在しておりますが、念仏堂は「ねんぶつどう」と読みます。
浅草寺・念仏堂とは?
念仏堂の念仏とは「仏を念じる」と書きます。
仏様のことを思いながら、そのお名前を呼ぶことを「念仏を唱える」と言います。
お葬式になどでお坊さんがお経をあげるときに「南無阿弥陀仏」と唱えるのを聞いたことがありませんか?
昔の人は何か恐ろしいことがあると、「ナンマイダ~、ナンマイダ~」と手を合わせました。
これも正式には「南無阿弥陀仏」と言っており、阿弥陀如来を信じて、奉り、すがっているのです。
念仏堂とは、念仏修行をする場所であったようです。
現在の浅草寺の修行場は非公開となっている「本坊・伝法院(でんぽういん)」です。
伝法院の客殿には阿弥陀三尊、阿弥陀如来がまつられています。
浅草寺・念仏堂の歴史・由来と「現在はドコにあるの」?
江戸時代後期に描かれた、歌川広重の「浅草金龍山」の絵の中には、「念仏堂」と書かれた建物が見られます。
絵を見てみると、念仏堂⇒ 本堂⇒ 仁王門(宝蔵門)と、一列に並んでいます。
↑左端「念仏堂」中央「本堂」 画像引用先:http://dl.ndl.go.jp
現在の本堂裏に、おおよそ本堂と宝蔵門の間隔と同じくらい離れて念仏堂は建っていたのです。
本堂や宝蔵門と同じく朱塗りのお堂は、平屋建て(1階建て)で、入母屋造(いりもやづくり)、瓦葺(かわらぶき)の屋根であったようです。
屋根の高さは到底、本堂には敵いませんが、その広さは浅草神社の社殿と同じくらいの規模であったと思われます。
江戸時代、1840(天保11)年の浅草寺の本堂の大修復が行われた時には、ご本尊を念仏堂に安置したと言います。
また、当時は念仏堂に常駐する高位の僧がいるほど、浅草寺では重要な建物であったと伝わっています。
1910年(明治43年)念仏堂には、浅草寺診療所が設立されます。
設立の経緯は、関東大水害の被災者のための「救護の場」とされています。
しかし、1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災で、念仏堂は焼失してしまいます。
その後、念仏堂は再建されず、浅草寺診療所だけが残り「浅草寺病院」と名前を変えて今も残っています。
つまり、現在の浅草寺病院が建っている場所には、その昔は念仏堂があり、年の瀬(年末)などは本堂と同様に、たくさんの参拝客で賑わいをみせていたと云われています。
浅草寺・念仏堂の場所
浅草寺・念仏堂は、現在の浅草寺境内の浅草病院の場所にありました。
現在では、伝法院が念仏堂の代わりになっています。
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