隅田川花火大会が開始されたのは江戸時代!その理由とは?
隅田川花火大会の前身は、1961年(昭和36年)まで両国橋付近を打上場所にして行われていた「両国の川開き」です。
1733年(享保18年)、江戸幕府(将軍:徳川吉宗)は、前年の大飢饉や疫病により亡くなった人々の慰霊と、悪病退散を祈願し、隅田川で水神祭を行いました。
この水神祭の際に、両国橋周辺の料理屋が許可を取って花火を上げたことが、「両国の川開き」の由来とされています。
つまり、両国の川開きは、200年以上の歴史を持つ、由緒ある花火大会だったのです。
以前は今のような市民協賛席や、一般の人が腰を下ろして花火を見られる親水テラスなどはなく、花火を鑑賞できる場所は特別桟敷くらいだったので、多くの人が花火を見られるよう、広範囲で打ち上げを行っていました。
江戸時代は両国橋の上流と下流、戦後間もなくは蔵前橋から両国を越え、2kmほど下流の新大橋の先までを打ち上げ会場とし、川開きの花火とコンクールを開催していました。
その後コンクールはなくなりますが、蔵前橋から両国橋の間と、やはり会場は広めでした。
一時期、花火の開催が中止されていた時期がある?
隅田川花火大会は、高度経済成長期の交通渋滞や川の汚染などにより、1962年(昭和37年)以降は、開催できなくなりました。
花火大会はしばらく休止していましたが、1974年(昭和49年)に当時の美濃部亮吉都知事が隅田川花火大会の復活を打ち立て、打ち上げ場所や観覧場所などの調査が始められました。
そして1978年(昭和53年)、名称を「隅田川花火大会」とし、高速道路が通った影響で使えなくなった両国橋付近から打ち上げ場所を上流に移した上、より多くの人に見てもらえるよう、また、人の流れなども考慮して、2か所の会場と、開始時間をずらすことを決め、花火大会が復活しました。
隅田川花火大会で使用する花火の特徴
隅田川花火大会には、以下のような特徴があります。
- 花火の大きさは小さめ(最大5寸玉)で、高さも200mほどと低め
- 2会場で開催され、短時間に連続して多数の花火が上がる
- 打ち上げ場所が都会の真ん中・川であるため、花火がビルや川に映り込む様子が見られる
5寸玉(5号玉)は外径15cmほどの大きさの花火です。
隅田川花火大会では、幅の広くない川で打ち上げられ、すぐ近くに建物があるので、大きな花火は打ち上げられないのです。
日本最大かつ、世界最大の花火は4尺玉(40号玉)で、外径はなんと約120cmあり、700m~800mほどの高さに上がります。
それでも、江戸時代に始まった日本最古の花火大会の伝統を受け継ぎ、東京の大都会に復活した隅田川の花火大会は特別で格別です。ビールぷしゅぅ‥‥‥はい、意味不明〜
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