浅草・浅草寺「久米平内堂」

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浅草・浅草寺「久米平内堂」

再建年

  • 1979年(昭和54年)
建築様式(造り)

  • 宝形造り
屋根の造り

  • 銅葺き

浅草寺で、女性に優しい神様、仏様と言えば「淡島堂」の淡島大明神ですが、恋する乙女に優しいお参りスポットが境内の中にあるのをご存じですか?

雷門から本堂へ向かう途中、宝蔵門を前にして右手へ行くと、緑ののぼりに「久米平内堂」の文字が見えます。

のぼりの並ぶ奥へ進むと、小さな覆屋風の小さなお堂があります。

これが「久米平内堂」です。

浅草寺・久米平内堂の読み方

久米平内堂は「くめのへいないどう」と読みます。

久米平内堂の名前の由来

「久米平内」という人物が奉斎される一宇であることから、古来、そのように呼ばれる。




久米平内堂の歴史

久米平内堂の創建年

この久米平内堂は江戸時代に建てられたお堂ですが、1945年(昭和20年)3月に行われた東京大空襲で焼けてしまい、現在の建物は1979年(昭和54年)に再建されたものです。

久米平内堂の建築様式・造り

久米平内堂の屋根の造りは宝形造りに銅葺(どうぶき)で葺かれ、宝形屋根の上には宝珠1つ据えられています。

堂舎全部が透し彫りか?

久米平内堂の堂舎を見れば驚きを隠せませんが、なんと!扉、柱に至るまで花鳥の見事な透し彫りが施されています。

透し彫りは職人の腕を必要とするほか、お金もかかりますので、そこまでして奉納するからには余程の思い入れがあったのだと考えられます。

その上、お堂の大きさに対して「広大」とも言えるほどのスケールを有した境内です。石柱の御垣と生垣で境内が丁寧に囲われており、入口からお堂までの直線状には石畳まで敷かれています。

いずれにしても、いったい何者がここに祀られているんだ?と考えさせるような「ただ事ではない」、そんな印象を強く受けますが、実はこの小さなお堂の中には「久米平内(くめのへいない)」という人物に由来した、ちょっとした「曰くつきの石」がまつられているんです。

ところで・・「久米平内」って?どんな人?

「久米平内」は、講談(落語のようなもの)にも登場するちょっと有名な人物で、江戸時代前期に実在した武士です。

一説によれば「首切り役人」であったと言われ、相当な剣の使い手でもあったようです。そんなことから「1000人斬り」をしたいと願って、夜な夜な辻斬りに出かけていたとも噂されています。

首切り役人とは、罪を犯した人の首を切る死刑執行人のことです。

久米平内に残る様々な「ウワサ」

人とは、怪しいことや謎を知りたいと思うものです。

つまり、久米平内を調べる人間が数人おり、調べた人々それぞれの主観が影響して、さまざまな噂が飛び交うことになります。

その結果、「武勇伝」や「辻斬り」などと言った様々な噂が混在して残ることになり、久米平内と言う人物の本当の経歴や生い立ちを知る者はいないと云われています。

んん??・・「久米平内の石」??

久米平内堂の中には「石」があります。

この石は平内が自分の石像を彫って、現在の宝蔵門である仁王門の脇に埋めたものです。

一説には平内がたくさんの人をあやめてしまったから、その罪滅ぼし・・と言うより、罪から逃れるために参拝者たちに踏んでもらった結果、埋まってしまったとも云われます。

それともう1つ説があって、なんでも坐禅を教えていた平内が、その看板として「仁王坐像」のスタイルを彫った石を埋めたのだとも伝えられています。




久米平内堂には縁結びのご利益(効果)がある?!

実は、久米平内堂には意外なご利益が語り継がれています。

そのご利益と言うのが「縁結び」です。

いっけん、全く「縁結び」とは、関係がないように思えますが、さすがは洒落のきいた江戸っ子といったところ。

なんと!上述、参拝者たちが石を踏みつけたことから「踏みつける」が→「文つける」→「ラブレターを送る」ことへ意味が転じて行ったとのことです。

石を踏みつけて、「文をつけたことにする」つまりは「自分の恋心が届きますように・・」と願うわけです。

そう考えると江戸時代の人は本当にロマンチストですね。

しかし、踏んでいる石が、たくさんの人を殺した人物の像だなんて、なんとも物騒な話です。

縁結び絵馬奉納箱

他にも、久米平内堂の左脇には「浅草うまいもの会」の発願によって、謹製された「縁結び絵馬奉納箱」があります。

ただし浅草寺では、縁結び絵馬の授与は行っていないようです。

代わりに、恋文を投函すると、願いが叶う(恋が叶う)と言われています。

久米平内堂は浅草寺のパワースポットだった?!

久米平内堂のちょっと風変わりな占い

久米平内堂にはちょっとした風変わりな占い方法があったのをあまり知られていません。

久米平内は武人であり、剣の達人でもあったことから「パワースポット」としても認知されていたようです。

そこで、上述した平内堂に「恋文」を結びつけて帰った人の「恋文」を持ち帰り、その恋文の内容をみてちょっとした吉凶を占うことも流行ったようです。

すなわち、「武人・久米平内のパワーをお借りする」といった解釈になります。

例えば、恋文の内容に数字がらみの文面が書かれていれば、その数字の宝クジを買う。すると実際に大当たりした例もあったようです。

現在では、あくまでも過去の噂話として時代の波にさらわれて何処かに消し飛んでいったような話ですが、それでも古来、知る人ぞ知るパワースポットだということに変わりはないのです。ウフ

浅草寺・久米平内堂の場所(地図)

浅草寺・久米平内堂は、宝蔵門を向かって見て右手前にあります。

久米平内堂の隣には「二尊仏」という2体の仏像が祀られていますので、久米平内堂へ訪れた際はぜひ!参拝してみてください。

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