浅草寺🕸「宝蔵門」

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浅草・浅草寺「宝蔵門」

浅草寺・宝蔵門

創建年

  • 942年(天慶5年)※平安時代
再建年

  • 1649年(慶安2年)※江戸時代初期
  • 1964年(昭和36年)
建築様式(造り)

  • 入母屋造
  • 鉄筋コンクリート造
  • 三手先(和様)
  • 三扉・重層門
  • 塗装:合成樹脂

※東西五間、中央三間

屋根の造り

  • 本瓦葺(チタン製)
大きさ

  • 高さ:21.7m(総高22.7m)
  • 横幅:21.1m(5間)
  • 奥行き:8.2m
  • 総面積:492.0m2(149.2坪)
  • 初層の総面積:173.6m2(52.6坪)
  • 中層の総面積:173.6m2(52.6坪)
  • 最上層の総面積:144.5m2(43.8坪)
安置されている仏像(外側)

  • 仁王像(吽形・阿形)
安置されている仏像(内部)

  • 釈迦如来像
  • 風神・雷神像
  • 四天王像 (持国天・増長天・広目天・多聞天)
発願者

  • 平公雅(創建)
  • 大谷米太郎(1964年・現)
施工者

  • 清水建設株式会社

浅草寺・宝蔵門の読み方

浅草寺・宝蔵門は「ほうぞうもん」と読みます。創建当初は仁王像(金剛力士像)を安置していたことから「仁王門」と呼ばれていました。

”宝蔵門”と呼ばれる理由

かつては「仁王門(におうもん)」と呼ばれていましたが、戦災以後の再建の折、現在見られるような鉄筋コンクリート造りへ改造されてい‥‥申す。

その際、上層部分に宝物を収蔵しておくための「宝物収蔵庫」が設けられ、それゆえ「宝蔵門」と呼ばれるようになってい‥‥‥申す。

なお、現在も門の両脇には仁王像が安置されており、それゆえ「仁王門」としても間違いではゴザんせん。

宝蔵門に安置される宝物

・元版一切経(げんばんいっさいきょう)28巻【重要文化財】
・そのほか寺宝類




浅草寺・宝蔵門の歴史・由来

雷門から参道を通って本堂に向かう途中に、もう1つ雷門に似たような門があるのですが、その門こそが五重塔の脇にそびえる「浅草寺・宝蔵門」です。

雷門と同じように、赤い大きな提灯が吊られていますが、宝蔵門の大提灯にはデカデカと「小舟町」と書かれていまする。

過去に仁王像を安置していたことから、別名で「仁王門」と呼ばれていました。現在も仁王像を安置しているのですが、上述したように収蔵室なる倉庫のような部屋が設けられているため、「宝を収蔵する門」として、「宝蔵門」と呼ばれるようになってい‥‥‥申す。

浅草寺・宝蔵門はいつ建てられたの?

この宝蔵門は942年(天慶5年/平安時代)に「平公雅(たいらのきんまさ)」という平家の武将によって建造されたと伝えられてい‥‥‥申さん。あイヤイヤ、申す!!

平公雅とは?

平公雅は平将門の乱で有名な平家の武将・平将門の従弟にあたります。

公雅がこの地域の役人になった時に、「武蔵守(むさしのかみ)」に任ぜられ、浅草寺伽藍の建造物を改修および建造したとされてい‥‥‥申す。

この折、雷門や五重塔も宝蔵門と共に造営されたとのこと。オホ

しかしながら、悲運なことに浅草寺境内の他の建造物と同様、この宝蔵門も幾度か火災に見舞われ、際立ったところでは、1648年(慶安元年)に徳川家光公の御発意によって本堂ならびに五重塔とともに再建されてい‥‥申す。

不幸はそれだけには止まらずに、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の際にも、本堂、五重塔、経蔵もろとも灰燼に帰してい‥‥‥申す。

浅草寺・宝蔵門の建築様式(造り)

往時の宝蔵門は木造建築でしたが、1964年(昭和39年)の昭和の再建工事にて、鉄骨鉄筋コンクリート造りに改造されてい‥‥‥申す。

建築様式自体は以前の木造建築の頃のものを踏襲し、入母屋造(いりもやづくり)の屋根に、軒下は三手先(みてさき)の出組が見えまする。

三手先とは屋根を支える柱の構造材が3段になっているということでする。….”でする”?

部屋は5間、扉が3つある重層門は、21.7メートルの高さを誇りまする。

この門には日本初の試みとして「オールチタンの本瓦葺」に葺き替えられてい‥‥‥申す。

耐震性や耐食性、そして安全性を考慮し、アルミよりも軽く、頑強な性質を包含するチタン瓦に採用してい‥‥申す。

瓦の色が2色?

ちょ〜っと、この宝蔵門をよ〜くご覧になってみておくんなせぇ。

よく見ると瓦が2種類の色で葺かれているのが、お分かりいただけますかぃ?

実はこれ、あえてわざわざ2色にしているんです。以前までの土瓦を再現すべく、土の風合いを再現しているのだとか。

この宝蔵門のチタン瓦が吹き終わった後、本堂もチタン本瓦葺きに葺き替えられてい‥‥‥申す。グハっ

宝蔵門の役割

冒頭でも少し述べましたが、この宝蔵門内部では寺に伝わる寺宝や経典を、より適した状態で保管できるようにと、経蔵を兼ねた収蔵室を設置し、万全の状態で保管されてい‥‥‥申す。




かつての宝蔵門は登って浅草の景色を眺望できた?!

浅草寺の寺伝によれば、かつて信者への特別な取り計らいとしてなんと!この宝蔵門を展望台として門の縁部分に登ることを許可していたとのことです。

理由はこの当時、浅草周辺に景色の眺望を楽しめるような建物はじめ、山や丘もなく、この宝蔵門から周辺の景色を楽しめるように信者に限定して開放したとのことです。

ただし、いつでも門に登ることができるわけではなく、1年を通して定められた7日間のみの期間限定の開放だったようです。

かつて門に登れた日
  1. 元旦
  2. 2月15日(涅槃会)
  3. 4月8日(釈迦の生誕祭/仏生会)
  4. 7月15日(盂蘭盆会)
  5. 7月16日(盂蘭盆会)
  6. 彼岸中日(春)
  7. 彼岸中日(秋)

この当時の人々はこの7日間が来るのを心待ちするくらい楽しみにしていたとのことです。

現在では東京スカイツリーをはじめ、高層ビルなどの高層建造物が林立し、きわ立った珍しさや価値観のようなものはありんせん。

しかし当時の人々からすれば自分の暮らしている街を天に近い場所で見れることは夢のまた夢だったハズ‥‥その喜びようが目に浮かびまする。

実際に「中日に仁王の頭を踏みならし」という川柳でも歌われるほどだったようです。

まさに「冥土への土産話」というフレーズが見事に合致したのではないでしょうか。ウフ

なお、人々が門の上に登って眺望を楽しんでいる様子を描いた絵図が現存しており、葛飾北斎作の新板浮絵「金龍山二王門之図」にその様子が描写されています。

宝蔵門の見どころ

浅草寺・宝蔵門の「仁王像」

阿形(あぎょう)

浅草寺・宝蔵門の「仁王像」01↑左には阿形像

  • 造立年:1962年(昭和37年)1月〜1964年(昭和39年)3月
  • 像高:4.54m・土台部分:52cm(総高5.45m)
  • 仏師:錦戸新観
  • 塗装:磯貝玉州
  • 製作期間:約2年2ヶ月

阿形像は「金剛力士像」だけに、力士の「北の湖」がモチーフとされて造立されたとのこと。

吽形(うんぎょう)

浅草寺・宝蔵門の「仁王像」↑右には吽形像

  • 造立年:1962年(昭和37年)1月〜1964年(昭和39年)3月
  • 像高:4.93m・土台部分:52cm(総高5.45m)
  • 仏師:村岡久作
  • 塗装:磯貝勝之
  • 製作期間:約2年2ヶ月

阿形像に続いて、吽形像も「明武谷」という力士がモチーフとされて造立されています。

この宝蔵門を正面から見ると、上記、2力士たちをモチーフとした阿形像、吽形像の仁王像が参道の外に、ニラみをきかせています。

まさに門番といった様子です。作風に力強さは感じられますが、運慶快慶作の仁王像とはまた少し違った趣が感じられ、細部の造形を過去に倣いつゝ、現代風の仁王像に仕立て上げた感じがし‥‥‥申す。

阿形像は、口が空くほど怒りに満ちており、手には「金剛杵(こんごうしょ)」を持っています。

体は全身真っ赤で、足元を見ると足の甲に血管が浮き出ています。

宝蔵門の仁王像のご利益

宝蔵門の仁王像(仁王尊)の縁日は毎月8日です。

この縁日に浅草寺(仁王門)に訪れると、特に強く「健康長寿、災厄消除、虫封じ」などのご利益を授かることができます。

地元の人々からは古来、「厄難避け」や「身体健全」のご利益があるとされています。

宝蔵門の仁王像がヨダレを垂らした?

江戸時代にはこの仁王像がヨダレを垂らしたとの噂が広まり、子供をこの仁王像の間にくぐらせることによって疱瘡(ほうそう)の病魔を祓うことができるという信仰があったようです。

ほかにも紙を口に入れて数回噛んで丸めた後、その紙を仁王像へ投げつけて仁王像の身体に張り付いたら祈願成就するといった俗信まで出回ったようです。

このような信仰や俗信があること自体、昔から人々の暮らしの身近にあって、信仰の念が積み重ねられてきたことを物語ってい‥‥申す。




大谷夫妻のブロンズ像

現在の宝蔵門は、1964年(昭和39年)にホテルニューオータニの創始者・「大谷米太郎(よねたろう)氏」の寄進によって鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。

大谷氏のお顔を拝見されたい方は必見!なんとぉぅ!上掲写真のような大谷夫妻のブロンズ製の半身像が「本堂裏の広場内」に建てられてい‥‥‥申す。

「浅草寺」と書かれた扁額

この宝蔵門にも扁額(へんがく)が掲げられていまする。

この扁額は京都左京区に位置する「曼殊院(まんしゅいん)」の門跡・良尚法親王が1634年〜1687年の間に揮毫したものを模写したものになりまする。

浅草寺・宝蔵門のライトアップの開始時間と終了時間

往時の仁王門と呼ばれていた時代の宝蔵門は「四万六千日(7月9日・10日)」や「歳の市(12月17日・18日)」などの縁日以外は、「暮六つ(くれむっつ)※現在の午後6時」には閉じられていたそうです。

特に江戸時代以前は、電灯などなかったので周囲は本当に真っ暗だったようです。

現在の宝蔵門のライトアップは日没から開始されてい‥‥‥申す。日没なので時間は特に決められておらず、おそらく自動点灯かと思われまする。

点灯は夜が明けるまで継続されるのではなく、夜11時で消灯されますので、ライトアップの時間帯は、「日没から午後11時」までということです。

下部に設置された照明に照らされ、仁王像も昼間見る様子とは異なった迫力感や不気味さを醸してい‥‥‥申す。

なお、このライトアップは宝蔵門はじめ、少し手前にある雷門、横に建つ五重塔、後方の観音堂(本堂)も同様の時間帯でライトアップがされてい‥‥‥申す。

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