浅草寺🕸「影向堂」

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浅草寺🕸「影向堂」

影向堂

再建年

  • 1994年(平成6年)
建築様式(造り)

  • 寄棟造
    ※鉄筋コンクリート製
屋根の造り

  • 本瓦造葺(しころ屋根)
屋根両端「鴟尾(龍彫り)」

  • 長さ:70cm
  • 高さ:80cm
  • 幅:30cm
大きさ

  • 正面横幅:13.3m
  • 奥行き:13.3m
  • 高さ:12.9m

浅草寺・影向堂の読み方

浅草寺・影向堂は、浅草寺で中でも最も読みにくい建物でしょうが、「影向堂」は「ようごうどう」と読みます。

「影向堂」の意味

本堂の西ある建物を、「影向堂」と言います。

「影向」とは、神様や仏様が人間世界に現れることを言います。

浅草寺では、観音様の教えを助けながら、人々救う仏様たちを「影向衆」と呼び、この「影向堂」でお祀りしています。

「影向堂」には、「影向衆」の仏像が8体安置されているそうです。




浅草寺・影向堂の建築的特徴

このお堂は、鉄筋コンクリートでできています。

と、言いますのも、その歴史は浅くもともとは淡島堂が影向堂の役目を担っていましたが、1994(平成6)年の境内整備時に、新たに建てられたものなのです。

「寄棟造(よせむねづくり)」「本瓦造葺の”しころ屋根”」です。

「しころ」とは、兜の左右に垂れた部分のことで、しころ屋根はもともとの屋根から、さらに屋根が垂れたような形になっています。

浅草寺・影向堂しころ屋根

影向堂の場合は、まるで屋根が2重にあるように見えます。

さらに屋根の上には、金色のツノが生えています。

浅草寺・影向堂の屋根の上の金色の魚

浅草寺・影向堂の屋根の鴟尾

  • 長さ:0.7m
  • 高さ:0.8m
  • 幅:0.3m

浅草寺・影向堂の屋根の両端のツノのようなものは魚ではなく、「鴟尾(しび)」と呼称される金箔押の屋根の飾りです。

その高さは80センチメートルと大きく、左右の鴟尾に「阿吽の龍」が彫られています。

影向堂に「鴟尾」を取り付けた理由とは、影向堂が再建した1994年(平成6年)は、記録的な日照りが続いており、雨を降らせると云われる「棟飾りの鴟尾」を取り付けたそうです。つまり現在の鴟尾です。

その後、見事に大雨が降ったというのですから「鴟尾」の力はあなどれません。

しかし、鴟尾は通常は「火除け」として用いられることが多いです。

代表的な鴟尾に「東大寺(奈良)大仏殿」があります。

他にも鴟尾ではありませんが、鴟尾と似たような目的で付けらたのが「シャチホコ」です。

「シャチホコ」の「シャチ」とは「鯱」と書き、創造上の怪魚(魚)のことであり、火難除けの目的で屋根に付けられたものです。

「鯱」の起源は、織田信長が寺院の置物の厨子(ずし/=昔の豪華な入れ物)から着想を得て、安土城の屋根に付けたのが起源とされています。

現代に現存しているシャチホコでは名古屋城が有名ですね。ウフ

ご本尊・聖観世音菩薩像と十二支聖観音菩薩(九尊仏)

影向堂の奥は畳敷になっており、その上に仏像が置かれている黒色の壇である「須弥壇(しゅみだん)」も見えます。

そしてその上には9躯の仏像が安置されていますが、この仏像群を「九尊仏」と言います。

この九尊仏は生まれ年の十二支守り本尊の八躰仏にもなっており、中尊に「聖観世音菩薩」を据え、その他、以下のような仏像が安置されています。

干支尊名縁日ご利益・尊格
聖観世音菩薩18日
戌・亥年阿弥陀如来15日やすらぎを与えてくれる
酉年不動明王(ふどうみょうおう)28日煩悩をはらってくれる
未・申年大日如来(だいにちにょらい)28日日の光のように輝き、人々を照らす
午年勢至菩薩(せいしぼさつ)23日迷いから解き放ってくれる
辰・巳年普賢菩薩(ふげんぼさつ)14日幸福を増やし、女性の救済をしてくれる
卯年文殊菩薩(もんじゅぼさつ)25日悟りと智恵を授けてくれる
丑・寅年虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)13日福徳と智恵を授けてくれる。
子年千手観音(せんじゅかんのんぼさつ)17日千本の手であらゆる願いを叶えてくれる。

守り本尊8体と、中央に安置された聖観世音菩薩像を合わせて「九尊仏」と呼びます。

十二支なのに、なぜ8体しか仏像がないの?と思いますよね。

これは、方角を8方位であらわした時に、北・北東・東・南東・南・南西・西・北西と呼ぶことから、子・丑寅・卯・辰己・午・羊申・酉・戌亥と、方角に合わせて守り本尊が定められているのです。

ただ、それぞれの仏像で、ご利益が違うので、生まれ年の仏像でなくともお参りしたくなってしまいますね。




浅草名所七福神「大黒天立像」

画像引用先:浅草寺

影向堂の内部の内陣奥には須弥壇があり、その上に数体の仏像が安置されていますが、その手前、ちょうどお守り授与窓口の前くらいに真っ黒クロスケな大黒天像が置かれています。

この大黒天像、実はちょっとした有名な大黒天像でなんとぉぅ!浅草名所七福神の1尊に指定されているほどの大黒天になります。

授与所の方曰く、ご利益が半端ないようです。

あなたも影向堂へお越しの際はぜひ!この霊験あらたかな強烈なご利益をもつとされる大黒天像へお祈りを捧げてみては?

浅草寺・影向堂の大黒天像の由緒

この像は「浅草名所七福神」の一尊として信仰が寄せられる大黒天像であり、別名で「米びつ大黒(こめびつだいこく)」とも呼ばれまする。

そもそも大黒天は「大黒天神」とも呼ばれ、元来、インドの神でした。

やがて仏教に取り入れられ、日本へ伝来したときには袋を背負い、米俵に乗る柔和な姿に表現され、商売繁盛、福徳の神としてお祭りされるようになった。

大黒天像の縁日は「子(ね)」の日であり、この日にお参りする信徒も多い。

大黒天のご真言「 〜 おん まかきゃら そわか 〜 」
(〜あぁ 明日もまた そうめん(素麺)か〜)…似てへん?

浅草寺・浅草七福神と「大黒天・聖観音菩薩の御朱印」

堂内の右手には「大黒天」がまつられています。

この大黒天は「浅草名所(などころ)七福神」の一人です。

また、本堂の東側にある浅草神社では、浅草七福神のうち「恵比寿」がまつられています。

「影向堂」では、大黒天の御朱印を授かることができます。

「大黒天」の御朱印

大黒天の御朱印は、中央に「大黒天」と大きく墨書きがあり右上に「名所七福神」の押印がされています。

  • 「大黒天」の御朱印の値段:300円

また、他にも浅草寺の永代秘仏・御本尊である聖観世音菩の御朱印も、ここで同じように授かることができます。

浅草・浅草寺の御朱印の「種類・値段・場所・営業時間・混雑具合」など

中央に「聖観世音菩」の墨書きがあり左上に「坂東捨三番」の押印があります。

「なお、「九尊仏」の御朱印もあったのですが、「印」が壊れたため、2016年6月現在は授与できなくなっているようです。

「聖観世音菩」の御朱印の値段:300円

影向堂では御朱印の授与(受付)をしている

この影向堂の堂内では、浅草寺においての御朱印の受付をしています。

浅草寺で授与されている御朱印はすべて一括してこの影向堂で授与されています。

浅草寺の御朱印の種類や授与時間、お布施(値段)については以下のページを参照してください。

昨今、日本全国の著名な寺社では、御朱印の拝受に長蛇の列が発生しています。それは浅草寺も例外ではなく、土日祝日ともなれば午前中からこの影向堂に長蛇列ができています。

堂内入って右奥に御朱印の受付窓口が設置されていて、3人くらいの寺務員の方が受付されています。

朱印帳を渡してその場で待つ形式ではなく、番号札を手渡されます。

その後、いったん堂内から出て番号を呼ばれるのを待ちます。参拝した日や混み具合にもよりますが、概ね10分〜30分ぐらいです。

オープン(午前8時頃)時間を狙って行くと、土日祝日でも割とすんなり授与できます。




影向堂周辺の見どころ

旧東照宮「石橋(しゃっきょう)」

ちょっと影向堂の前の看板が立てられた人が渡っていない石橋に注目してください。浅草寺境内においてなぜか影向堂の前にだけ石橋が設置されています。不思議だと思いませんか?

実はこの石橋こそかつて浅草寺境内に存在したとされる浅草東照宮へ参拝するために設置された石橋になります。

1642年(寛永19年)に東照宮が焼亡した際、二天門とこの石橋だけは類焼から免れています。

影向堂に訪れた際は、ぜひ、この石橋の上に立ち、かつての浅草東照宮の石橋であった過去に思いを馳せてみてください。ウフ

橋下の池では鯉や金魚も泳いでいる!

この石橋の下には池水が貯水されており、池中では鯉や金魚が遊泳する姿が見れます。

長閑に悠々と遊泳する姿を見ていると、時間を忘れて少しホッコリとする瞬間です。

御朱印をいただいた後にもでホッコリタイムのひとときにぜひ!

人口の滝も観れる!まさに庭園!

この影向堂の周囲には滝や川が造成されており、さながらこの一画だけ庭園の様相が感じられまする。

浅草寺境内には伝法院の庭園という浅草屈指の庭園がありまするが、この庭園は常時、拝観できません。

したがって、そう意味ではこの影向堂周辺の景観は浅草寺境内において唯一、いつでも観覧できる庭園の意匠が感じられる場所です。

⬆️石橋は現在渡れないがその周囲には木々が植栽されており、さながら庭園の意匠が感じ取れる。ふゅ〜

西仏の板碑【東京都指定有形文化財】

  • 奉納者:西仏
  • 材質:秩父産「粘板岩(青石)」
  • 高さ:217.9㎝
  • 横幅:48
  • 厚さ:4.7

「さいぶつのいたび」と読みます。この石碑は上部が削れており、年季の入った印象を受けますがその通り!なんと!鎌倉時代に「西仏」という人物が妻子があの世に逝った際、極楽浄土へ行けることを願って奉納したと伝えられています。

上部の削れは1742年(寛保二年)の起こった暴風雨によって倒れた時のものと伝えられ、1814年(文化11年)に有志一同が側柱を立てて支える仕様にしたそうです。

また、上部に梵字が見えますが、これは釈迦如来を示す梵字です。実際、梵字の下に消えかかっていて見にくいのですが、釈迦如来が刻まれています。

浅草寺影向堂の場所(地図)

影向堂は本堂(観音堂)を向かい見て左脇にあります。

上記、「西仏の板碑」「石橋」の場所

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