隅田川花火大会🎇の歴史や使用される花火の特徴を‥‥知る..イェイ❗️

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隅田川花火大会が開始されたのは江戸時代!その理由とは?

隅田川花火大会の前身は、1961年(昭和36年)まで両国橋付近を打上場所にして行われていた「両国の川開き」です。

今日の「隅田川花火大会」の名称は昭和53年度に復興を奉祝して命名されたもの。

花火の歴史(起源)

花火の起源は「狼煙」?

花火の原型は「狼煙(のろし)」と云われ、その狼煙の起源を遡ると古代インドやギリシャ、ローマなどに行きつき、さらにそこからの歴史ともなると紀元前までに遡るといわれる。

ただ、現状に見られるような観賞用花火へと発展した理由(経緯)は判然としない。

花火の素となる火薬の起源

では現行の花火に使用される火薬の起源はいつなのか?

現在までの研究では火薬の起源は中国とされ、唐の時代(618年〜907年)に編纂された「真元妙道要路」によると硝石・硫黄・炭を混合すると燃焼・爆発しやすいなどが明記されていることから、この頃には火薬がすでに何らかの形で使用されていたことが分かる。(火薬を実用化したのはルネサンス期以前の西洋らしい)

とりわけ、この頃の火薬は現状の火薬のルーツともいわれる「黒色火薬(こくしょくかやく/木炭と硫黄、酸化剤としての硝酸カリウム(硝石)の混合物)」と称される火薬であり、今日では紙、印刷技術、羅針盤と並び合わせて四大発明の一つとされ〜る。

日本の花火の歴史

室町時代

1543年(天文十二年)種子島にポルトガル船が漂着し、ポルトガル人により我が国に鉄砲が伝わる。

安土桃山時代

できごと
1581年(天正九年)織田信長が安土城築城の奉祝にいと爆竹を使用。(我が国初例)
1600年(慶長五年)石田治部、関ヶ原合戦にて狼煙を使用す。

江戸時代初期

できごと
1613年(慶長十八年)徳川家康公が駿府城にて日本人初の花火を見物する。
1648年(慶安元年)江戸市中において、ネズミ花火などの製造が禁止される。
1657年(明暦三年)明暦の大火にて江戸市中の大半が灰燼に帰す。
1659年(万治二年)鍵屋弥兵衛が日本橋横山町にて花火の製造を開始す。また、この頃、大川と呼ばれた隅田川に両国橋が架橋され〜る。
1663年(寛文三年)江戸市中において花火の製造が禁止され〜る。
1670年(寛文十年)町中における花火禁止の触れが発出される。ただし、水辺は許可された。

江戸時代中期〜後期

1733年(享保十八年)、江戸幕府(将軍:徳川吉宗)は、前年の大飢饉や疫病(コレラ)により亡くなった人々の慰霊と、悪病退散を祈願(川施餓鬼/せがき)し、隅田川で水神祭を行いました。

この水神祭の際に、両国橋周辺の料理屋が許可を取って花火を上げたことが、「両国の川開き」の濫觴とされています。

つまり、両国の川開きは、200年以上の歴史を持つ、由緒ある花火大会だったのです。

玉屋、鍵屋の台頭

両国の花火といえば、知る人ぞ知る「玉屋」と「鍵屋」という今日まで語りつがえるほどの2人の有名な花火師がいたことで知られ〜る。

できごと
1810年(文化七年)この頃、玉屋が鍵屋から分家し独立する。
1842年(天保十三年)幕府が鍵屋、玉屋を召喚し、大川筋の花火に代金3匁(もんめ)以上の費用をかけること、花火カラクリ(仕掛け花火)、筒物を禁じた。
1843年(天保十四年)時の将軍・家慶(いえよし/12代)が日光社参の前夜に玉屋から出火し、所払い(居住地からの追放刑)と相成った。
1848年(嘉永元年)
〜1867年(慶応三年)の間
両国の花火はほとんど開催されず。

以下は江戸時代の両国花火の様子を描いた景物画(主に歌川ファミリー)となる。




以下、画像は国立国会図書館or両国花火資料館より

東都両国夕涼之図

東都両国ばし夏景色

貞秀作:1859年/安政六年

子供遊花火の戯

新撰江戸名所 両国納涼花火ノ図

一立斎(歌川)広重

両国夕涼ミの図

香蝶楼(歌川)豊国

江戸名勝図会(両国橋)

二代目 広重作

両国花火

初代 歌川広重作(1858年/安政五年)

明治時代

年月日できごと
1868年(明治元年)両国川開きが開催され、殷賑極まりなき様相を伝える。
1873(明治六年)両国川開きで当夜、前年に鉄道が開通した新橋・横浜間で臨時列車を運行させ、運転予告広告を在留外国人向け外字新聞に掲載す。
1874年(明治七年)10代目の鍵屋弥兵衛が苦心の末、丸くなる花火が生み出され〜る。
1887年(明治二十年)11代目の鍵屋弥兵衛が新たに輸入された薬剤を使用し、赤緑青に発色する花火を生み出す。
1903年(明治三十六年)11代目・鍵谷弥兵衛がマニラからスターマインを持ち帰り、両国川開きにて初公開す。

1880年(明治13年)小林清親作「両国花火之図

1859年(安政6年)「東都両国ばし夏景色」貞秀作

「東都両国夕涼之図」貞房作




大正時代

年月日できごと
1918年(大正七年)両国橋を中心とした上下流とも300間内への舟の出入りや、浜町ならびに本所側へ桟敷を設けることが禁じられ〜る。

昭和時代

年月日できごと
1936年(昭和十一年)川開き花火に100万人の人出があったことが記録される。
1940年(昭和十五年)本年より昭和二十二年まで太平洋戦争の影響で川開きが中止される。
1948年(昭和二十三年)川開きが”最高”な気分で”再興”された。

昭和23年09月18日、第一回全国花火コンクール会場の開始前風景

昭和27年07月15日、川開き花火大会を控えた、九分通り完成の桟敷席(両国橋〜浜町河岸)

昭和28年07月17日、仕掛け花火が準備される様子

年月日できごと
1959年(昭和三十四年)人口増加による住宅密集化などを起因とした火難ならびに雑踏に対する危険防止策が採用され、5号玉が禁止され〜る。
1962年(昭和三十七年)両国の花火が交通事情悪化のために廃止され〜る。
1978年(昭和五十三年)隅田川花火大会と改称して復興す。

再興2年を迎えた年の隅田川花火大会(昭和54年07月28日)

年月日できごと
1982年(昭和五十七年)花火コンクールが再興される。(両国の川開きゆかりの8社が協賛)
1983年(昭和五十八年)両国川開き250周年記念大会が開催され〜る。
1986年(昭和六十一年)28年ぶりに5号玉の打ち上げが復活された。花火コンクール協賛企業10社に増加す。

平成時代

年月日できごと
1991年(平成三年)花火コンクール10周年を迎える。
2003年(平成十五年)江戸開府400年記念にて和火を再現す。

令和時代

年月日できごと
2020年新型コロナウィルスの感染拡大により隅田川花火大会の開催中止が決定す〜る。
2021年
2022年
2023年これまで通り、第46回隅田川花火大会として開催予定❤️

以前は広範囲に渡って花火を打ち上げていた

以前は今のような市民協賛席や、一般の人が腰を下ろして花火を見られる親水テラスなどはなく、花火を鑑賞できる場所は特別桟敷くらいだったので、多くの人が花火を見られるよう、広範囲で打ち上げを行っていました。

江戸時代は両国橋の上流と下流、戦後間もなくは蔵前橋から両国を越え、2kmほど下流の新大橋の先までを打ち上げ会場とし、川開きの花火とコンクールを開催していました。

その後コンクールはなくなりますが、蔵前橋から両国橋の間と、やはり会場は広めでした。

一時期、花火の開催が中止されていた時期がある?

隅田川花火大会は、高度経済成長期の交通渋滞や川の汚染などにより、1962年(昭和37年)以降は、開催できなくなりました。

花火大会はしばらく休止していましたが、1974年(昭和49年)に当時の美濃部亮吉都知事が隅田川花火大会の復活を打ち立て、打ち上げ場所や観覧場所などの調査が始められました。

そして1978年(昭和53年)、名称を「隅田川花火大会」とし、高速道路が通った影響で使えなくなった両国橋付近から打ち上げ場所を上流に移した上、より多くの人に見てもらえるよう、また、人の流れなども考慮して、2か所の会場と、開始時間をずらすことを決め、花火大会が復活しました。




隅田川花火大会で使用する花火の特徴

隅田川花火大会には、以下のような特徴があります。

  • 花火の大きさは小さめ(最大5寸玉)で、高さも200mほどと低め
  • 2会場で開催され、短時間に連続して多数の花火が上がる
  • 打ち上げ場所が都会の真ん中・川であるため、花火がビルや川に映り込む様子が見られる

5寸玉(5号玉)は外径15cmほどの大きさの花火です。

玉の号数による大きさの比較

玉サイズ直径高さ開花重量
30号玉3尺/90㎝600メートル600メートル200kg
20号玉2尺/60㎝500メートル70kg
10号玉1尺/30㎝330メートル8.5kg
07号玉21.0㎝250メートル3.0kg
06号玉18.0㎝220メートル2.0kg
05号玉15.0㎝190メートル1.3kg
04号玉12.0㎝160メートル0.5kg
03号玉10㎝120メートル0.2kg
2.5号玉8.5㎝
02号玉06㎝

スターマイン

下掲写真は参考までにスターマイン(5号玉)にな〜る。

⬆️画像(写真)は両国花火資料館にて撮影したもの

スターマインとは連射連発花火のことをいう。「スターマイン」ていう歌あったよな?

我が国初のスターマインは1903年(明治三十六年)に11代・玉屋がマニラ(フリピン)でスターマインと出会い、8月の両国川開き大花火にて初公開した。

スターマインは打ち上げる玉数に応じて一緒にセットし、連続して打ち上げる。

隅田川花火大会では大きな花火は打ち上げられない?!

一般の我々のイメージでは隅田川といえば古来、変わることのない川容を留め続け、今も変わらずに大河といえる。

しクぁしながら、現在の隅田川両岸には我が国をシンボリックな観光地が広がり、商業施設や居住する人口も多く、法律で雁字搦めの現今、うまく立ち行かないことも多ぃ。

たとえば、花火の打ち上げ場所は川中であるにも関わらず、5号以上の大型打上花火となると安全を最優先に考慮する必要が生じ、結果、確たる川幅が確保できないなどの理由から、大きな花火は打ち上げられないとする。

日本最大の花火のサイズ

現在の日本最大かつ、世界最大の花火は4尺玉(40号玉)とされ、外径は約120cm、700m~800mほどの高さにまで打ち上が〜る。

大型打ち上げ花火は打ち上がらないとはいえ、江戸時代に始まった我が国最古の花火大会の伝統を脈々と継承し、東京の大都会に復活した隅田川の花火大会は特別で格別だ。

現在、隅田川花火大会で実際に使用されている打ち上げ筒

隅田川花火大会で実際に使用されている花火の打ち上げ筒は以下のような種類があ〜る。

小さいものから2号、2.5号、3号、4号、5号‥。

⬆️画像(写真)は両国花火資料館にて撮影したもの

ところで「花火」とは?

花火とは別名で「煙火」と書くように、火薬に金属塩や金属粉末を混ぜ合わせ、これに火を付けることで、その時に発生する色彩の変化や爆音、放射状に広がる形などを観賞して楽しむ素敵❤️な演出のこと。

花火の色の付け方

花火の色は炭酸ストロンチウム(紅色)や硫酸銅(青色)などを混ぜた物体が着火することによって生じる炎色反応による。

混ぜ合わせる金属の種類によって多様な色合いを発生させることができることから、現在では虹色(七色)に近い花火も容易に作れる。

なお、ありのままの火薬を燃焼させた場合、単色しか生じない。”見方”を”味方”に付ける勢いにて例えるならば、花火師の仕事とはまさにその金属混合、火薬調合がメインの仕事ともいえる。

花火職人は誰でもなれるのか?

花火の職人になるためには、「火薬類製造保安責任者」の資格が必要とな〜る。

また、打ち上げを行うためには別途、「煙火消費保安手帳」が必要。

そしてこれらの資格はいずれも花火のような大量の火薬を常に取り扱う環境になければ取得はできない。

🎇火薬類製造保安責任者資格(参考:全国火薬類保安協会

🎇煙火消費保安手帳(参考:全国火薬類保安協会

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