ほおずき市とは?「ほおずき市の歴史や由来」と「ほおずき市を開く理由」について

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赤く、むしろ日本古来の朱塗りの柱のような色でぶら下がっている、ほおずき。

この中には、色づきの悪いミニトマトそっくりの実がコロンと1つ、入っていますが、食べることができない上、美味しいとは言い難いものがあ〜る。(実は食べられる品種もある)浅草寺・ほおずきとは?

そんなほおずきが、どうして浅草寺で、たった2日で50~60万人も人を集めるイベントになってしまったのでしょう?




そもそもほおずきって何?「鬼灯市」の読み方が「ほおずき市」!

ほおずき市に行こうかな、と思った方の中には、「鬼灯市」という少しホラーがかったような漢字を目にした方も多いことでしょう。

そう、「ほおずき」は、漢字では「鬼灯」もしくは「酸漿」とも書きます。「鬼灯市」=「ほおずき市」と書いてあったんですね!

ほおずきは、6月の下旬から7月中旬にかけて、うす黄色のかわいい花を咲かせる、多年草です。

ほおずき 花

花が咲いた後、おなじみの朱色のぷっくりとした袋ができます。この袋も、最初はグリーンのピーマンのような形をしていて、最後はオレンジ色に色づくというわけです。

袋状になっているものの正体は、萼(がく)で、ミニトマトで言うところのヘタと同じ部分。しかしミニトマトと違って、萼が勝手に開くことはありません。中を見たければ、指でつまんで破り、開いてみましょう。(もちろん、購入してからですよ!)

ほおずきの実

中を開けてみると、ねっ、ミニトマトみたいでしょう! でもこれは食べられませんよ。ほおずきの漢字「酸漿」を見れば想像がつくとおり、「酸味のある」「漿(ドロドロした液体)」(……しかも苦い。)が中に入っています。くれぐれも、息子さんのお弁当に入れないように注意してください。

ちなみに、ほおずきには食用のものがあり、「スイートほおずき」「スイートパール」等の名称で家庭菜園でも栽培することがあります。味は甘酸っぱく、こちらならお弁当に入れても大丈夫!

ただし、ほおずきの実にはアルカロイドと言う有毒性の成分が少し含まれており、妊婦がアルカロイドを多量に摂取すると流産する確率が上がりますので注意してくださいね。

江戸時代には、このミニトマト部分を「ほおずき笛」にしたり、萼ごと「ほおずき人形」にしたりして遊び、子ども同士、あるいは子供と大人を繋げるコミュニケーションの1つとして親しまれていました。

特にほおずき笛は、ミニトマト部分を破かないように、萼からきれいに切り離して、つなぎ目の硬い部分を取り除き、酸っぱい中身をていねいに出して、口に当ててブウブウ鳴らします。ちょっと難しいので大人でないとできませんね。器用にやってあげて、小さい子たちから「にいちゃん、すげえ~!」なんて尊敬のまなざしで見られるというわけ!

一方、ほおずきの外皮の萼(風船)は、現在では香水と混ぜてドライフラワーとして、部屋の匂い付きの飾りなどに使用されています。




浅草寺のほおずき市の由来とは?

上記で、ほおずきを少し紹介しましたが、ほおずきは仏教とも非常に関係の深い植物です。

現代でも、お盆の時期になると、お盆の精霊棚(しょうろうだな)へほおずきを飾り、先祖の霊をあの世から導くための「提灯」に見立てる風習が残っています。

盆棚

浅草寺のご本尊は、聖観音菩薩(観世音菩薩)です。

観世音菩薩の縁日は、毎月18日であると伝えられており、平安時代の頃から、18日に浅草寺に参拝すれば、「1,000日分、毎日参拝したのと同じだけの御利益、功徳が得られる」と言われていました。このため、毎月18日の参拝には、「千日詣(せんにちもうで)」という名前がついているほどです。

これに関連して、室町時代の末期(16世紀半ば)頃からは、18日だけではなく、仏様と縁が深いと考えられる日も「功徳日(くどくび)」として縁日と考える風習が起りました。

功徳日に参拝すると、100日や4,000日など、たくさんの参拝に該当する功徳を得られると言われ、人々はもちろん功徳日にこぞって参拝するようになりました。とりわけ人気が出たのが7月10日で、7月10日は観音様と特にご縁が深く、この日の参拝で一生分「46,000日」の功徳が得られるという、功徳MAXの日であると考えられたのです。

このことから、7月10日は別名「四万六千日」とも呼ばれるようになりました。

46,000日は約126年分もありますが、昔は人の寿命の限界、「一生分」という意味あいがあったものと考えられています。46,000という数字に関しては、米一升分が46,000粒、この「一升」と「一生」をかけたのではという説もありますが、定かではありません。

ともあれ、7月10日の参拝は、江戸時代には大人気となり、1716年~1736年頃から、前日の9日には既に境内に参拝者が押しかけるようになったと言います。

こうして、浅草寺では7月9日~10日を観音様の特別な縁日として、お祭りを行うようになりました。

その江戸時代の頃、ほおずきは、「実を丸呑みにすれば持病がなくなったり、腹の虫(当時は、お腹の中に本当に虫がいると思われていた)を除去することができる」と言われていて、病気平癒の民間信仰の対象でした。

【補足】四万六千日の起源

四万六千日の由来は現今に至っても不詳とされていますが、その起源は京都・清水観音(京都清水寺)で初めて行われたのを機とし、全国に伝播したと考えられています。

東京ではこの浅草寺以外にも愛宕神社の千日詣り、護国寺の四万六千日、他に京都の愛宕神社にも千日詣りがあります。




ほおずき市の起源

ほおずき市の起源は鎌倉時代!源頼朝!

ほおずき市の起源は鎌倉時代、源頼朝が奥州征伐(1189年/文治5年)の帰りに浅草で軍勢を休息させ、日射病で倒れた兵士たちに、赤く熟したほおずきの実を食べさせて元気付けたとことが起源とされています。

ほおずき市が始まったのは江戸時代!

ちょうどお盆の時期(7月13日~15日)で、盆棚飾りにほおずきが求められることもあって、7月10日に、最初にほおずきを販売したのは、芝の愛宕神社であったと言われています。

ほおずきは、愛宕神社の地蔵尊千日詣で販売されていたそうですが、愛宕神社の主祭神はホムスビノミコト(火の神)ですから、ほおずきの見た目を火の神の御利益と重ね合わせたのかもしれません。

愛宕神社の影響で、浅草寺にもほおずき市が立つようになり、現在に至るというわけなのです。これらのほおずき市が始まったのは、今から約200年ほど昔の1764年から1771年(明和年間/江戸時代)と云われています。

ほおずき市では「赤トウモロコシ」が売られていた?!

ほおずきが売られる前には、茶筅が売られたり、文化年間(1804年~1818年)頃には赤トウモロコシが売られていたという話もあります。赤トウモロコシは雷よけの意味があったそうです。

しかしながら、明治初期、赤トウモロコシは不作で売ることができず、浅草寺では雷よけの護符をトウモロコシの代理で配布する羽目に。反面ほおずきを売る風習はしっかりと生き残って現在に至ります。

風鈴は邪気払い
浅草寺のほおずき市では、多くのほおずきの鉢に風鈴がついているのが見られます。これは暑さをやわらげる他に、澄んだ音色で邪気払いをするという意味があります。

江戸時代に流行した「びいどろ」ガラスの名残で、現在でも、びいどろの風鈴、あるいはそれに似せた風鈴が販売されているのでしょう。

風鈴の音色も、ほおずき市を彩る欠かせない伝統の1つですね!

ほおずき市(2020年)の「日程・混雑回避方法・出店 屋台について

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