浅草寺でお祀りされているのは仏様?神様?参拝のご利益(効果)とは??

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浅草寺は元々、天台宗のお寺でしたが、1950年に「聖観音宗」の大本山として独立しました。

あなたはこの「聖観音」がどんな仏様か、ご存知ですか?

浅草寺の「聖観音(しょうかんのん)」とは

浅草寺 聖観音 御開帳

浅草寺は「浅草観音」という通称で親しまれていますが、この「観音」という のは、浅草寺のご本尊である、「聖観世音菩薩像」のことです。

この聖観世音菩薩像は、浅草寺の開祖とされる勝海上人の夢のお告げにより、645年に「絶対秘仏」と なりました。

その後、平安時代の僧侶、慈覚大師円仁によって、お前立本尊(秘仏の代わりに拝むための仏像)が造られましたが、こちらも公開されるのは、通常、毎年12月13日のみとなっています。




浅草寺縁起に記される浅草寺の起こりとは?

さて、浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩像については、1400年頃成立したと言われている「浅草寺縁起」に、次のような物語が伝わっています。

628年3月18日、宮戸川(現在の隅田川)で、漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)という兄弟が漁をしていましたが、その日は何度 網を投げても、魚はかかりませんでした。

しかし、しばらく繰り返していると、漁の網に高さ5.5cmほどの人の形をした像がかかりました。

ふたりはその像 を川に捨て、また漁を始めましたが、何度やっても、場所を変えても、同じ像が網にかかります。

不思議に思った浜成と竹成は、結局その像を陸に上げ、切り株 に安置しました。

この出来事を耳にした郷司(地方長官)、土師中知(はじのなかとも)は像を見て、聖観世音菩薩の像であることに気づき、兄弟に功徳など について説きました。

尊い仏様だということを知った浜成と竹成は、この聖観世音菩薩像に翌日の大漁をお願いしました。

すると、19日は前日と打って変わっ ての大漁でした。

浜成と竹成の自宅に安置された聖観音像

中知は程なくして、自宅をお寺へ改築し、聖観世音菩薩像を祀り、自らも帰依し、とうとう出家したのだった。

いわゆる、これが浅草寺の発祥であり、起源と云われる。

※土師中知は、一説に土師真中知(はじのまなかち)とも。

その後の浅草寺

浅草寺は1400年もの間、多くの人々の信仰を集め、度重なる火災の後も復興し、栄えてきました。

平安時代から鎌倉時代にかけては源義家、義朝、頼朝も聖観音に消えるほどに帰依し、来寺するほどに崇めた。

江戸時代には徳川家康公により幕府の祈願所に定められ、歴代の将軍も度々参拝しました。

前述のように、聖観音様は、大変慈悲深い仏様で す。

悩んでいることがあれば打ち明け、ご加護をお願いしてみましょう。参拝の際は、合掌し、「南無観世音菩薩」と唱えます。

そもそも「聖観音」とは

聖観音とは、「聖観世音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」のことです。

聖観音菩薩は、阿弥陀如来の脇侍(きょうじ/に仕える)の菩薩様です。

その証拠の1つとして、阿弥陀如来の分霊である「化仏(けぶつ)」を頭上の冠の中央に掲げています。

仏教には「輪廻転生(りんねてんせい・りんねてんしょう)」という考え方があります。

迷いのある者は、死した後、来世で生まれ変わり、心は6つの世界をぐるぐる回ることになります。

この6つの世界は六道と呼ばれ、「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」に分かれています。

人間を含む動物は、迷いを捨て悟りを開かない限り、迷いのあるこれらの世界を転々とし続けるのです。

六道のそれぞれにいる観音様たちを六観音と呼びます。

その中で地獄道にいらっしゃるのが、聖観世音菩薩です。

私たちが「観音様」とか、「観音菩薩」と言うとき、普通はこの「聖観世音菩薩」を指しています。

聖観世音菩薩は、大いなる慈悲により、地獄道に落ちて苦しみ、悩む者を慈しみ、救います。

像として表される時は、容姿やポーズには特に際立った特徴は無く、人間に近い姿です。

大乗仏教の経典「華厳経(けごんきょう)」によると、観音菩薩(観音様)は、西遊記で有名な「玄奘三蔵法師」によると、インドの遥か南の海に八角形に形をした「補陀洛山(ふだらくさん)」と言われる山があってその山の頂に住んでいるとされています。

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