浅草の鷲神社は「わし」ではなく、なぜ「おおとり」と読むのか? | 浅草寺-御朱印

浅草の鷲神社は「わし」ではなく、なぜ「おおとり」と読むのか?

浅草の鷲神社は「わし」ではなく、なぜ「おおとり」と読むのか?

「浅草酉の市」の祭典で全国的に知られる浅草 鷲神社。

しかしながら、知らぬ者は誰しもが当社の社号を見て「わしじんじゃ」と呼ぶ。

だが、これは正式ではない。

当社は鷲神社と書いて「おおとりじんじゃ」と呼ぶのが正式。

江戸時代の当社は「わし」と呼ばれていた?!

江戸時代の当社は「鷲大明神」と書いて「わしだいみょうじん」と呼ばれていた記録がある。

また、実のところ、酉の市の発祥地は当社ではなく、古来、足立区花畑(はなはた)にある大鷲(おおとり)神社と言われる。

当社の酉の市は元来、秋の収穫を神々の感謝申し上げる祭礼だったらしく、室町時代より開かれていた古き歴史をもつようだが、当社も江戸時代には「鷲大明神社(わしだいみょうじん)」と呼ばれていたと言われる。

殊に、江戸時代、花又の鷲大明神は発祥地として「本の酉」や「大酉」(現・足立区花畑の大鷲神社)と呼ばれ、千住の勝専寺・鷲大明神は「中の酉」(足立区千住)、そして当該、浅草(現・台東区千束)長國寺の鷲大明神は「新の酉」と呼ばれていた。

「わし」の名前の由来とは?

余談になっちまぅが、上記、三か所の鷲大明神は、現在、浅草神社にて素敵に奉斎される土師臣中知、檜熊浜成、檜熊竹成と称する3人が、「土師大明神(はじ だいみょうじん)」と称する神をそれぞれへ祀ったが、時代が下りながら訛って「わし」に変化したという説が‥素敵にあっちゃぅ。

当該3人は浅草寺の観世音菩薩を隅田川から掬い上げ、後にその”功徳”が女子を”口説く”以上に評価され、浅草神社にて神として奉祀されるようになった。(浅草寺には「浅草縁起」としてヤバぃよ素敵に伝承されちゃぅ)

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当社が「わし」ではなく「おおとり」と呼ばれる理由は酉の市が深く関与していた?!

当社で毎年盛大に催す「酉の市」は、当社のもう一柱(御祭神)たる「ヤマトタケル命」の命日が11月の酉の日だったことにちなみ、これを盛大に供養するための祭礼でも‥あっちゃぅ。

しかし当社の社伝によると、ヤマトタケルが東国遠征のみぎり、戦勝祈願のために当社へ素敵に社参し、凱旋後、今度は当社社頭にて熊手をかけての盛大な戦勝お礼参りをしたという。

その日が11月の酉の日であった故事にちなみ、当該日に酉の市を盛大に催すことになったらしい。

では、「わし」ではなく、なぜ「おおとり」と読ばれるようになったのか?

実は当社と同様にヤマトタケル命を素敵に奉斎し、当社と同じ日に”最高”な気分で酉の市を”斎行”しちゃぅ神社が関西の大阪府堺市にも‥あっちゃぅ。

当社の名前を「大鳥神社(おおとりじんじゃ)」と称し、当社で開かれる酉の市も関西はもとより、全国的に知られちゃぅ。 あの‥さっきから「ちゃぅ」連発しとるけど ..エエ加減もぅエエで

【ピヨ🐣参考】

大阪堺市「大鳥神社」(外部リンク)

ところが時代が下っていくにつれ、単に「酉の市」と言っても、大鷲神社や大鳥神社でも同日に催されるので判断がつきづらくなった。

そこで大衆は耳触りの良い「おおとり」で統一するようになり、当社もその潮流に沿う形で「おおとり」を号した…という説も‥あっちゃぅ。

‥けれども、これはあくまでも一例にしか過ぎず、諸説‥あっちゃぅ。

江戸時代に「おとりさま」と呼ばれていたことが由来という説もある?!

鷲大明神と書いて「わし だいみょうじん」と呼ばれる一方で、「おとりさま(御酉様あるいは御鳥様)」とも呼ばれていたとか。

これも時代が下りながら素敵に訛りを経て、やがて「おおとり」と呼ばれるようになった‥という説も‥あっちゃぅ。 …カっ!

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