【鷽&梅限定の御朱印など豊富💘】亀戸天神社の御朱印の種類や値段(料金)と場所(受付時間)を‥‥耳くそホジって盗み聞き❓

スポンサードリンク

亀戸といえば「亀戸天神(亀戸天満宮)」。

その亀戸天神でも以下のような素敵てきてきテキーラ一気 やばっ‥‥てなほどの素敵💕な御朱印がいただける❗️ どんな度合いや

🐢亀戸天神でいただける御朱印の種類🐢

通常頒布される御朱印(通年もらえる御朱印)

「社号(亀戸天神社)」の御朱印

期間限定の御朱印

🐢「鷽替え神事(初天神)」の御朱印

🐢「梅まつり」の御朱印

🐢「藤まつり」の御朱印

🐢「例大祭(天神様ご縁日)」の御朱印

🐢「菊まつり」の御朱印

通年頒布される御朱印

 「社号(亀戸天神社)」の御朱印

令和五年version

令和二年version

後述する亀戸天神の祭礼を奉祝して頒布される御朱印とは異なり、この御朱印は年間を通して社務所がオープンしている時間であれば、受けられる御朱印となる。

最上の印判(印鑑)の意味

東京府」(かつての東京のこと)のこと。亀戸天神社が「旧・東京府社」に列した事実を示す亀戸社の歴史を物語る上では重要な印判となる。

「府社(ふしゃ)」とは、東京府・大阪府・京都府の3府に所在する神社に付与された社格となり、この格付けは「県社」に比定される。(府社=県社=藩社)

府内においての府社の位置付け(格付け順)は次のとおり。

  • 府社>郷社>村社

つまり、亀戸天神社は東京府内においては最上格の格式を有する神社であり、その格式は今日の東京都内へと引き継がれてい‥‥ます。ピクっ

中央の印判の意味

篆書体で「亀戸天神社」と社号が刻字された印判。

最下の印判(印鑑)の意味

元准勅祭十社之内

「元准勅祭社」とは、明治天皇が定められた東京近郊に鎮座する准勅祭社12社の総称であり、現今、10社になったことから1975年(昭和50年)に「東京十社」に改称されてい‥‥‥申す。ジュシュゥェァっ(”十社”を表現)

最後の「之内(の、うち)」は元准勅祭社に列するほどの社格を有する神社であるという意味。

東京十社一覧

日枝神社・根津神社神田神社・白山神社・亀戸天神社・品川神社・富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・鷲宮神社・芝神明宮(芝大神宮)

外された2社とは?

上記、12社はかつて明治天皇直々に1868年(明治元年)に「准勅祭社(天皇の勅使が幣帛を携えて下向するほどの天皇が支持する神社)」と位置付けられたが、3年後に准勅祭社制度が廃止になる。

そこで、1975年(昭和50年)に執り行われた昭和天皇即位50年記念を奉祝して、准勅祭社12社の代表が協議した末、距離の離れた「府中町六所宮」と「埼玉県久喜市の鷲宮神社」の2社を除外して、新たに23区内の10社を巡礼する「東京十社巡り」が発足するに到った。


  • 初穂料(値段):500円
  • 授与場所:社務所(御朱印受付専用窓口)
  • もらえる期間:通年(ただし、社務所が開いている時間に伺う必要はある)




期間限定の御朱印

 鷽神事の御朱印

「鷽替え神事(うそかえしんじ)」とは1820年(文政3年)に行われるようになった比較的、新しい神事となる。

早い話が鷽(うそ)という鳥を象った木彫りの鷽を新しい年のものと交換することで、旧年の厄災を祓い、新年の吉兆を賜ることができるとされる。

一説には太宰府天満宮ひいては、全国の天神社にて奉祀される菅原道真公が蜂に襲われた時、ウソの大群が飛来して蜂を食べ尽くしたと云ぅ言い伝えがある。

その言い伝えに基づき、太宰府天満宮では新年明けての正月七日の酉刻に鷽の形に彫り上げた木鷽を「替えましょ、替えましょ」と雄叫びをあげながら新しい木鷽と交換する神事を執行する。(亀戸社では毎年1月24日、25日)

その神事こそが鷽替え神事となる。これは亀戸社における鷽替え神事の際に授与される御朱印となる。

なお、菅公は6月25日が生誕日であり、2月25日が忌日でもあることから、菅公を主祭神に戴く天満宮にとっては毎月25日は菅公との縁日となる。


  • 初穂料(値段):500円
  • 授与場所:社務所(御朱印受付専用窓口)
  • もらえる期間:鷽替え神事期間中のみ(毎年1月24日、25日)

 「梅まつり」の御朱印

令和3年バージョン

亀戸社の境内には菅公の縁起にちなみ、天満宮らしく約300本もの梅が神苑の心字池の周りに植栽される。

毎年2月初旬頃になると梅の花が開花するので、この時期に合わせて「梅まつり」が開催される。

【補足】

令和3年度はコロナ禍の感染拡大防止対策の一環で密を避ける目的もあり、梅まつりが開催中止となったが、御朱印には恒例の「梅まつり」の印判が押印されなかった。

ある意味レア❓

このようなことが二度と起こらないような世の中
になることを心から祈る。

令和4年バージョン

 

「亀戸」の名前の由来

「亀戸(かめいど)」の名前の由来とは、亀の形をした亀島と云う島の井戸から由来がきていると云われる。

大昔の亀戸は葦(あし)が堆積して出来た亀の形をした小さな島だった。星霜経ると島内に「亀村」と云ぅ村落が形成され、島には井戸もできた。

やがてその井戸は亀井戸と呼ばれるようになり、さらに時代が下ると「井」が省略されて「亀戸」と呼ばれるよぅになったと伝わる。

「亀戸天神社」の名前の由来と誕生秘話

江戸時代は1662年(寛文二年)のこと。九州・太宰府天満宮の神人、菅原大鳥居信祐が諸国遊行の末、亀戸の地に到り、当社を創建する。

この神社は後に「東宰府天満宮」や「亀戸天満宮」などと呼ばれるようになったが、明治6年に東京府社に昇格した折、晴れて「亀戸神社」と号した。昭和11年になると「亀戸天神社」へと社号を改め、今日に至る。うきゃ


  • 初穂料(値段):500円
  • 授与場所:社務所(御朱印受付専用窓口)
  • 梅まつり期間中(概ね2月初旬〜3月初旬頃までの約1ヶ月間)
    ※2022年度は2月5日(土)~3月6日(日)




 「藤まつり」の御朱印

令和3年バージョン

「藤まつり」とは、例年、4月中旬頃〜5月初旬(GW期間が終わる頃まで)に亀戸天神および、その付近周辺の商店街などが中心となって開催される亀戸きっての大イベントのこと。

既知の方も多いとは思うが、亀戸天神は江戸期創建以来、約350年もの期間を通して江戸一、現今に至っては東京一とも云わしめるほどの藤を境内に植栽する。

藤は5分咲きあたりからインスタ映えすることから、満開日を中心として前後約2週間近くは愛でられる。

令和4年バージョン

亀戸天神にて御朱印をいただくとポストカードと亀戸天神にちなんだ絵柄の飴ちゃん(金太郎飴)が漏れなく進呈される。

ポストカードは四季でデザインが異なるので、御朱印をもらぅ楽しみが倍増する。うきゃきゃ


  • 初穂料(値段):500円
  • 授与場所:社務所(御朱印受付専用窓口)
  • もらえる期間:藤まつり期間中(4月中旬頃からGWが一応の終わりを迎える5月5日頃まで)
    ※2022年度は4月16日〜5月5日まで

 「例大祭(天神様ご縁日)」の御朱印

亀戸天神社の例大祭は創建された翌年となる1663年(寛文3年)8月が創始とされる。

初めて斎行される大祭だったが、神輿を準備して御神体を奉戴し、本所(ほんじょ/現在の墨田区とその周辺)中を渡御した(練り歩く)と伝わる。

亀戸社は創建以来、徳川将軍家のみならず朝廷からも篤い尊崇が寄せられた。

武士や江戸っ子の粋の精神の上に成立した東京が「動」ならば、亀戸天神はその「動」社会の真っ只中にあって公家風の風雅な「静」の文化や祭礼を踏襲し、一貫して伝統を守り続ける異風ただよぅ社となる。

昭和43年以降、例大祭は毎年8月25日に斎行されているが、4年に一度の8月には「大祭中の大祭」と称し、平安装束に身をやつした氏子たちに加え、平安風の神輿、マユ半麻呂車(輦車/ぎっしゃ)を伴っての渡御行列が本所中を練り歩く。


  • 初穂料(値段):500円
  • 授与場所:社務所(御朱印受付専用窓口)
  • もらえる期間:原則毎年8月25日のみ(変更の可能性もあり)

 「菊まつり」の御朱印

亀戸社の主祭神でもある菅公(藤原道真公)は、梅との縁起で古くから知られるが、菊との所縁があることかあまり知られていなぅぃ。

菅公は16歳の時に菊を愛でるあまり、「残菊詩」と云ぅ、詩を詠んでい‥る。ピクっ

他のエピソードとしては、重陽の節句の翌日(9月10日)、宮中にて残菊を観賞しながら催された酒宴の席にて醍醐天皇の臨席のもと、「秋思(しゅうし)」という詩を詠んだと伝わる。

丞相年を度って 幾ばくか楽思(らくし)せる
今宵 物に触れて 自然に悲しむ
聲(こえ)寒き絡緯(らくい) 風の吹く所
葉の落つる梧桐(ごとう) 雨の打つ時
君は春秋に富み 臣は漸く(ようやく)老いたり
恩は涯岸(がいがん) 無くして 報ゆる尚遅し
知らず此の意 何が安慰(あんい)せん
酒を飲み琴を聽き 又詩を詠(えい)ず


  • 初穂料(値段):500円
  • 授与場所:社務所(御朱印受付専用窓口)
  • もらえる期間:菊まつり期間中(10月第4日曜日から11月下旬頃までの約1ヶ月間)(変更の可能性もあり)
    ※2021年度は10月24日(日)~11月21日(日)まで

【補足】亀戸天神社の過去の御朱印

藤まつりの御朱印【過去バージョン】

この御朱印は平成20年(2008年)に頒布されていた御朱印になる。

現行の御朱印と大きく異なる点が、右上に「東宰府天満宮」と墨書きされているところだが、かつての亀戸天神は「東宰府天満宮」と号していた経緯がある。

明治6年に「東京府社」に列したのを機とし、昭和11年に現在の「亀戸天神社」へと社号を改称してい‥‥‥申す。トキョフっ(”東京府”を表現)




御朱印(お守り/お札)の受付場所

  • 境内社務所の御朱印受付専用窓口

亀戸天神社の社務所は幅があるのでお守り受付と御朱印受付コーナーとに分かれている。

まず、基本となる窓口が3つあって、配置は向かい見て次のようになる。

  • もっとも左側:期間限定のお守りなどを取り扱う窓口
  • 中央:御朱印受付所
  • もっとも右端:通常頒布のお守りを取り扱う窓口

大抵の場合、職員の方が1人窓口に立っているか、いない場合は声かけすることで奥のデスク(机)から誰か来てくれる。

参拝客が多い時には、それぞれの窓口に社務員が立ち、受付をされる。

亀戸天神社では御朱印帳の販売がある!

亀戸天神社では亀戸天神社名物の藤や鷽神事の絵柄があしらわれたオリジナルの公式御朱印帳の販売がある。

まだ、御朱印帳を所持していない場合でも安心しんしん雪つもる‥てなほど、安心して手ぶらで訪れることもできる。なんやそれ

亀戸社の御朱印帳についての詳細は最下記にリンクを掲載💘

🐢御朱印の受付時間

午前8時より午後6時まで

🐢境内に立ち入りできる時間

  • 神社境内には365日24時間可能

※藤まつり期間中は、花の見頃によりライトアップいたします。
※12月31日は午前6時に開門し、元旦は午後9時頃(御参拝の状況により)に閉門いたします。

🐢その他の亀戸天神社の受付時間

  • 御本殿の開門時間:午前6時〜午後5時まで
  • 御祈願(祈祷)の受付時間:午前8時30分頃より午後4時30分頃まで

※ご祈祷の事前予約は原則不可とのこと。

🐢御朱印受付場所の混雑具合

コロナ禍の現状下における亀戸天神では御朱印帳への浄書対応はされておらず、すべて、すで書かれた御朱印紙(現今、”書き置きの御朱印”と称される)で授与されてい‥‥‥申す。キィャキョっ(”書き置き”を表現)

したがって混雑とはほぼ無縁。(上掲、それぞれの御朱印をいただきに窓口へ行った時も並んで待つことはなかった)

また、コロナ禍の時勢とだけあって参拝者が少ないことも理由に挙げられる。

🐢亀戸天神社での目安滞在時間(参拝所要時間)

  • お参りをするだけなら10分

ただし、梅まつり、藤まつり期間中に社参した場合、梅や藤の見頃になると来場者が一気に増える。この場合、本殿(拝殿)前にお参りする人々の行列が発生してズラっと並ぶことも珍しくない。まぁ、これも古き良き亀有の風景となる。

この待ち時間が概ね10分くらいとみると、単純に20分の確保は必要となる。

境内をそぞろ歩きしながら梅や藤を観賞する場合

  • 上記、参拝時間に加え、約20分から30分。

概ね心字池の池畔に沿って梅や藤が植栽されているので、心字池をグルっと一周するつもりで境内を巡ることになる。

それと公式でも案内されているが、亀戸天神には石碑がまぁ〜多い。(公式では100基以上としている)そのほとんどが江戸時代のもの。

これらの石碑を、じっくりクリリン気円斬の威力ほど、ジックリと観察する場合は、さらに時間を要する。…どんな威力と例えや❗️ 怒るでしかしぅぃ❗️

亀戸天神社の場所(地図)

亀戸駅から徒歩🐢

総武線「亀戸駅」北口から徒歩約15分(距離約1㎞)

亀戸天神社までの交通アクセス

公共交通機関を利用🐢

総武線「亀戸駅」下車
総武線or地下鉄半蔵門線「錦糸町駅」下車 

亀戸天神社の最寄りバス停

都バス「亀戸天神前バス停」下車すぐ

🐢バス停の場所(地図)🐢

都バス「亀戸天神前バス停」下車、徒歩約1分(距離:約80m)

関連記事一覧

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。