浅草・浅草寺「お水舎(手水舎)」
創建年
- 1964年(昭和39年)
建築様式(造り)
- 方形平家建
- 鉄筋コンクリート造
屋根の造り
- 銅葺き
龍神像
- 作者:高村光雲
- 造立年:1903年(明治36年)
天井画(墨絵の龍)
- 作者:東 韻光
- 作画年:1964年(昭和39年)
手水鉢
- 錆御影石造(八角形)
- 直径:2.3m
- 高さ:1m
発願者
- 浅草料理飲食業組合
浅草寺「お水舎(手水舎)」の読み方
お寺や神社では参拝する前には、手を洗うことで自らの身を清めますが、その場所を「手水舎(ちょうずしゃ/ちょうずや)」と言います。
浅草寺では、手水舎のことを「お水舎(おみずや)」と言うそうです。
浅草寺「お水舎(手水舎)」の歴史・由来
浅草寺のお水舎は、1964年(昭和39年)4月に「浅草料理飲食業組合」からの寄進によって、建てられたものです。
ちょうど、同年10月に行われた東京オリンピックの前に、このように立派なお水舎が建てられたことになります。
お水舎の建築様式(造り)は、鉄筋コンクリート造、平屋建てで屋根は「銅」で葺かれています。
八角形手水鉢は「錆御影石(さびみかげいし)」でできており、その上にいる8匹の龍の口から、水が細く出てきています。
浅草寺の水鉢の上に立つ「沙竭羅龍神像」
お水舎の中には1体のブロンズ像が見えます。
頭に龍を乗せた銅像で、「龍神像・沙竭羅(さから)龍王像」と言います。
沙竭羅龍王は、法華経を守っているという龍族・八代龍王の1人です。
龍神像は、彫刻家・高村光雲(たかむらこううん)により造られたもので、1903年(明治36年)に奉納されました。
以前は本堂の裏に噴水があり、そこに置かれていたものを、このお水舎を建てた時に持ってきたのです。
高村光雲とは?
高村光雲とは、東京国立博物館所蔵の国宝に登録されている彫刻「老猿」を造った彫刻家です。
光雲は、幕末の時代に台東区で生まれています。
墨絵の龍画(天井画)
実は、お水舎には龍神像以外にも、もう1匹「龍」がいます。
その「龍」と言うのが、お水舎の天井の「墨絵の龍」です。
この墨絵は、お水舎が建てられた時に「東韻光」によって描かれたものです。
龍は水をつかさどるものとされていますが、このお水舎ではたくさんの龍がみられるのです。
浅草寺・お水舎での作法(手順)
お水舎は参拝の前に手を清める場所ですが、その作法を最後に紹介します。
1.柄杓(ひしゃく)を右手に持って、左手を洗う。
2.柄杓を左手に持ちかえ、右手を洗う。
3.もう一度、柄杓を右手に持ち、左手に水を注ぎ、口をすすぐ。また左手を洗う。
4.最後に柄杓を立てて、残った水で柄杓の柄(え)の部分を洗う。
最後に柄杓の柄を洗うというのは、次に使う人が気持ちよく使えるようにとの「優しさ」とも言えます。
そんなあなたの心遣いは、しっかりと観音様が本堂の内陣から見ていらっしゃいます。
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