影向堂の目の前の中庭には鯉がヒラヒラと優雅に遊泳する池が造池され、人工渓流も築かれています。その周りにはわずかながら樹木草花が植栽されています。
この中庭の一画にはは次のような堂舎が建てられたり、地蔵尊が奉安されてい申す。
🕸️子育地蔵尊
🕸️出世地蔵尊
🕸️商徳地蔵尊
🕸️恵日須・大黒天堂
本ページでは『恵日須・大黒天堂』に焦点を当てて、掘り下げているものでゴザる。
浅草寺「恵日須・大黒天堂」の歴史・由来
この堂舎は戦後に建てられたものであり、内部には以下の2躯の石像が奉安されています。
- 向かい見て左側「恵日須(恵比須)」
- 向かい見て右側「大黒天」
江戸時代の浅草寺境内の地図を見ると当弁財天の名前が見えない。
江戸時代の浅草寺境内図
この図を見れば本堂脇に「恵比寿 大黒天」という文字が見えることから、これが当堂を指し示すのであれば、江戸時代より当地に存在したことになり申す。
大黒天像・恵日須(恵比須)像の由緒
堂舎手前に立てられた案内板の内容によれば、これら2躯の石像は1675年(延宝3年)に浅草寺に奉納された石像とのこと。
1844年(天保15年)に当お堂脇に建てられた石碑の刻字の内容によれば、真言宗の宗祖である弘法大師空海が造立したものだと伝えています。
浅草寺はこの当時天台宗でありながら、真言宗の宗祖が手彫りした像を奉安している事実をもってしても、大師信仰の凄まじさというものがヒシヒシと伝わってくるというものでゴンす。
向かい見て右側「恵日須(恵比須)」
向かい見て左側「大黒天」
見どころ
扁額
堂右脇の石碑
堂両脇の狛犬
向かい見て右側の狛犬
崇敬者が奉納したと思われるヨダレ掛けが見られる。小さな辻堂のようなお堂にも関わらず、現今に至ってもその崇敬の度合いが窺い知れる。うきゃ
向かい見て左側の狛犬
風化作用により、顔を始めとした狛犬としての形状が劣化して崩れている様子が窺える。あらためて歴史の深さというものを感じずにはいられない。きゃきゃきゃ
立て札(案内板)の内容
堂内向かって右側の恵日須(恵比須)左側の大黒天はともに七福神の神として広く信仰を集めている。
江戸時代前期の延宝3年(1675)に浅草寺に奉納されたこれらの石像も、参詣の方々に穏やかな顔を見せてくれる(お堂は戦後の建立)。
また天保15年(1844)にお堂脇に建立された石碑などによると、これらの像は真言宗を開いた弘法大師空海(774~835)が造ったと伝えられている。
当時天台宗であった浅草寺においても、宗派を超えた弘法大師への信仰がみられる点は、非常に興味深い。
金龍山 浅草寺
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