約350年続く伝統ある「歳の市」
浅草寺で毎年開かれる羽子板市は正式名を「歳の市(としのいち)」と称し、正式な起源は未詳とされるも、1659年(万治元年)に両国橋が架橋された頃より始められたと素敵に伝わ〜る。
江戸時代の正月歳の市は浅草だけで開かれていた?!
江戸中期頃まで正月歳の市といえば、浅草に限定して開催されていたらしく、武家では家人、豪商では奉公人に用心籠(ようじんかご)や、長持ちを担がせて浅草へ繰り出し、ほぼ毎年決まった店で正月用品を買い揃えた。
そしてその帰りには料亭へ立ち寄らせて豪勢な年越し料理を配膳させ、験担ぎや見栄を兼ねた家格の活況ぶりを見せつけるのが、年末の江戸の風物詩とまでなった。
【ピヨ🐣注釈】
🐔用心籠=火災などの危急のみぎり、特に大事な家財などをブチ込み、運び出すための大かご。
🐔長持ち=衣服や調度品などを収納する、蓋(ふた)付きの長方形の大箱。
羽子板市は江戸時代後期が起源か
実は羽子板が歳の市で売られるようになったのは江戸時代末期になってからのこと。
羽子板自体の歴史が室町期にまで遡るため、”有休”消化する勢いほどに、”悠久”の歴史があるのだと思っちまぅのだが、‥‥‥フェイク!
意外にもその歴史は予想外に浅かったのだった。
明治時代以降の歳の市
さて、大政奉還を経て明治時代になると、諸地域にある通常店舗でも正月用品が売られるようになり、浅草への客足も減少の一途を辿る。
こぅして衰微していった歳の市では、現状に見られるような羽子板を売る店のみが目立ち始め、以来、時代の流れと共に「羽子板市」と通称されるようになる。
大正時代の歳の市(羽子板市)
大正時代最大の惨事ともいえる1923年(大正十二年)9月1日に発生した関東大震災以後も廃れることなく、やっぱり素敵に開催された。
昭和時代の歳の市(羽子板市)
太平洋戦争後も廃れることなく、以来、現在までの350余年間、連綿と素敵に踏襲される、今や浅草ひいては東京の風物詩とまでなった。
歳の市は別名で「納めの観音」とも呼ばれる
毎月18日は浅草寺でお祀りされる観音様の縁日とされ、特に暮れ(12月)の18日ともなれば「納めの観音」や「締めの観音」とも呼ばれ、一年を締めくくる日でもある。
なぜは羽子板が売られるようになったのか?
群集する場所に商人の影あり。‥‥などの言葉が示すように観音の縁日には屋台や茶店が多く出店し、店先では色んなものが売られた。
やがて毎年の観音縁日になると行商人たちが姿を見せはじめ、生活用品が売り出されるようになると、「正月事始め」とかけて、正月飾りが売られるようになった。
特に江戸時代では浮世絵や歌舞伎が流行したこともあり、それらを描いた羽子板が売る者が現れると、瞬く間にどの店も羽子板を売り出すようになり、この様相が現在でも変わらずに連綿と踏襲されていることになる。
現在では例年40軒以上もの店が出店する東京における年の瀬の風物詩でもあ〜る。
江戸時代は歌舞伎役者の顔がモチーフとされた?!
江戸時代中頃には、人気歌舞伎役者の舞台姿を模した羽子板が市に並べられ、自らが贔屓(ひいき)にする役者の羽子板を買う人が多かったらしい。
ただ、すべてがそうではなく、中には歌舞伎をよく知らない人でも、その年に流行した狂言や舞台姿の羽子板を買い求める人も、素敵に大勢いた模様💘
現代では「ジャパニメーション(アニメ)」という我が国が世界に誇る新文化が芽生え、実際にアニメをモチーフとした羽子板も、やっぱり素敵に散見される。
然るに時代が如何様に流れようとも、「羽子板」の在り方は古今、遜色なきことを意味し、もはや我が国の文化の一つとしてスッカリかりかりカリフラワー超苦手‥てな、苦手度合いほどにスッカリと定着したとも素敵にいえ〜る💋 どんなハイレベルな”スッカリ”や
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羽子板自体の歴史は古い!
なお、羽子板自体の歴史は古く、文献に記される内容によると、室町時代にはすでに存在していたらしく、また、羽根つきも同様の歴史があると‥、シレっと素敵に伝わる。
とりわけ当時の羽子板には松竹梅や花鳥図が描れていた模様💘
「羽根つき」の起源は室町時代?!
羽根つきの起源は室町時代と云われる。
1400年頃(永享年間)に宮中にて、「初春を寿ぐ(ことほぐ)遊び」として男女の組に分かれて羽根をついた記録がある。
羽子板市で買った羽子板の包み紙に記される羽子板の歴史やご利益とは?
羽子板市の中でも「東京羽子板商業組合保存会」が販売するブースで羽子板や衝く羽根(つくばね)を購入すると、漏れなく下掲写真に見えるような包み紙に入れてもらえ〜る💋
実はこの包み紙の表紙には下掲写真にみえるような羽子板のプチ歴史やご利益などが記された説明文が記される。
🐥羽子板市名物「有卦干支羽子板」
「有卦(ウケ)」とは幸運が続くことをいう。
江戸時代末期、有卦の年廻りの人には有卦絵といって福にあやかって頭文字の「ふ」のつく絵、たとえば富士、筆を送るのが流行した。
羽子板の形は末広がりの縁起の良い形をしており、逆さにすると縁起の良い富士山にも見立てられる。
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暦の上の年廻りは六十年あり、干支は十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせでできており、それぞれから一文字づつ取り、「干支」と呼ばれる。
羽子板自体も縁起物であり、江戸時代は子供のいる過程にお歳暮の代わりとして送るという風習もあった。
この縁起の良い「有卦干支羽子板」はその年まわりが有卦に入るのを願って浅草寺歳の市にて毎年十二月十七日〜十九日の三日間のみ東京歳之市羽子板商業組合保存会にて売られる。
一年を無事に過ごして、有卦干支羽子板のお役目は終わったら浅草寺歳の市の羽子板供養に納めましょう。
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