浅草・浅草寺「銭塚地蔵堂(かんかん地蔵尊)」

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浅草・浅草寺「銭塚地蔵堂(かんかん地蔵尊)」

銭塚地蔵堂・本堂

創建年

  • 不明
  • 推定:1716年~1735年(享保年間/江戸時代)以降
再建年

  • 1964年(昭和39年)
建築様式(造り)

  • 鉄筋コンクリート造
ご本尊

  • 石仏六地蔵尊
大法要

  • 1月24日
  • 5月24日
  • 9月24日

銭塚地蔵堂の読み方

浅草寺には読みにくい名前のお堂や仏像がありますが「銭塚地蔵堂」は「ぜにづかじぞうどう」と読みます。

「石仏六地蔵尊」と「銭塚」の名前の由来と意味

銭塚地蔵堂銭塚地蔵堂のご本尊である「石仏六地蔵尊」は、本堂の少し段のある塚の上に安置されており、1つの身体に6つもの頭を持つを言われるお地蔵様です。

そして、この石仏六地蔵尊の下に「寛永通宝」と言う江戸時代の小銭が、たくさん埋められているとの由来から「銭塚」と呼ばれています。

浅草寺・銭塚地蔵堂の歴史・由来

本堂の北西へ向かう、途中に「銭塚地蔵尊」と赤地に白で書かれた「旗」がたくさん立っています。

現在見ることのできる「銭塚地蔵尊」は、戦後の1964年(昭和39年)に再建されたもので、鉄筋コンクリート造りです。

以前のお堂は「木造」で、屋根は「瓦葺き」のお堂でしたが、関東大震災の時に焼失しています。

焼失前にお堂に存在していた「石塔」には「摂州有馬・山口銭塚正徳三年」という、謎の記載があったそうです。

「銭塚地蔵堂と山口さん」

上述の「摂州有馬・山口銭塚正徳三年」には、実は縁の深い民話が残されており、その昔、現在の銭塚地蔵堂が建っている場所には「山口さん」という武士の家があったそうです。

この家には、家主である山口氏を早々に亡くしてしまった、山口氏の妻と2人の子どもが暮らしていました。

その暮らしぶりは、妻(母親)は自分の髪を切って売るほど貧しかったと言います。

ある日、子どもたちが庭の垣根の修理のために地面を掘ってみると、なんと!そこからワンサカ♪ワンサカ♪と、コノヤローなほど、たくさんの寛永通宝(現在のお金)が出てきたそうです。

子供たちは大喜びしましたが、母親は子供たちにこう言いました。

「仕事もせずに、偶然みつけたお金を使うなど、おっ父が知れば武士の恥だと言うに違いない」

と、このように子供たちを諭し、子どもたちが見つけてきたお金をもとの場所に埋めさせました。

その後、立派に成長した子供が母親の教えを守るためにお金が埋まっていた所に、お地蔵様を建てたのです。

これが現在、兵庫県にある銭塚地蔵です。

銭塚地蔵堂・案内番浅草寺の銭塚も同じくその子が建てたのではないかと言われていますが、定かではありません。

銭塚地蔵には「融通」という文字が書かれてあり、一見すると「大金持ちになれる」といったご利益を授かることができるように思われます。

しかしこれは何も、お地蔵様にお参りしたからと言って「大金持ちになれる」といったことではないようです。

一生懸命働いた結果「自分に必要なお金を手に入れることができる」といった、ご利益をお授けなられるお地蔵様だそうです。

以上のことから、くれぐれも「宝くじの当選祈願」などはやめておきましょう。


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銭塚地蔵堂の有名な見どころ(見所)「かんかん地蔵」

銭塚地蔵堂には、少し変わった参拝方法をする「お地蔵さん」がお祀りされています。

そのお地蔵さんが「通称・かんかん地蔵」です。

現在は、容姿をとどめていませんが、当初は立派な石彫りのお地蔵さんだったようです。

銭塚地蔵堂・かんかん地蔵かんかん地蔵の名前の由来は、かんかん地蔵の前にある小石で「カン!カン!」と音を立てて、かんかん地蔵の身体を叩くことに由来しているものです。

「カン!カン!」とお地蔵さんを叩く理由

実は、かんかん地蔵には「病気の平癒」などのご利益もあるようです。

そんな由来もあってか、こぞって健康を祈願する病気の方が参拝に訪れ、その後、嘘のように病気が消え失せたそうです。

こうして、かんかん地蔵は「病気を吸い取ってくださっている」と噂されるようになりました。

以後、かんかん地蔵に素手で触ると、吸い取られた病気を貰い受けてしまうから、かんかん地蔵に触れる時は小石で「カンカン」と叩くようにして触れるようになったとのことです。

「かんかん地蔵」の法要時の特殊な参拝方法

毎月、4日に「かんかん地蔵」で法要が執り行われます。

この法要では、まず、銭塚地蔵堂で塩2つとお線香6本とロウソク2本(ロウソクは1本=100円)をいただきます。

このうち、「塩1つ」「線香3本」「ロウソク1本」を持ち、塩と線香を2組みに分けて「かんかん地蔵」と「銭塚地蔵」へ、それぞれお供えします。

カンカン地蔵・お供え方法

お供えする時は、まずロウソクに火をつけて、お線香3本を取り線香に火を付けてお供えします。

最後に塩をお供えして、祈りを捧げるようです。

以上のように、「塩」をお供えすることから「塩なめ地蔵」とも呼称され、親しまれているようです。

銭塚地蔵堂(かんかん地蔵尊)のオリジナルのお守り

実は、ここ銭塚地蔵堂にも、オリジナルのお守りが存在します。

銭塚地蔵堂に、参拝に来られた際は、ぜひ、お守りを授かって帰途に着かれてください。

銭塚地蔵堂(かんかん地蔵尊)の福銭守り

かんかん地蔵・福銭・お守り

お守りの中には、の「寛永通宝」を真似て作られた福銭が入っています。

招福のご利益を授かれます。

  • 値段:200円

【補足】そもそも・・地蔵菩薩とは?

地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅し、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救済してくれる菩薩です。

弥勒菩薩は釈迦の非常に優秀な弟子で、将来は人間界に如来として現れ、入滅した釈迦の代わりに人々を救うことになっています。

しかし!その「将来」というのは、実に56億7千万年後だということなのです!

56億7千万年も間、現世に仏がいなくなってしまっては大変です!

そこで、地蔵菩薩の出番となるわけです。

浄土宗・浄土真宗などの浄土教系の宗派では、人間は「六道(ろくどう)」という6つの世界を何度も生まれ変わりながら巡っていくと考えられています。

  • 六道とは:地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

地蔵菩薩はこの六道を、姿を変えながら巡り歩き、すべての衆生(生き物)を救うとされています。

地蔵菩薩像が、如意宝珠と錫杖(しゃくじょう)を持ち、袈裟を着た僧の姿で表され、寺院の堂内だけでなく道端に置かれることが多いのは、地蔵菩薩が、六道を旅する仏だからです。

また、地蔵菩薩が「六道」を旅するということから、地蔵菩薩像は6体一緒に置かれることもあり、これは「六地蔵」と呼ばれます。

地蔵信仰が広まったのは平安時代のことでしたが、貴族階級だけでなく、極楽往生するために現世でお金をかけられない平安時代の庶民たちの間にも普及しました。

それもそのはず、地蔵菩薩は、たとえ生まれ変わった先が地獄でも、救いの手を差し伸べてくれるのですから!

ええっ!?地蔵菩薩は閻魔様なの!?

中国では、閻魔を含む10人の王が死んだ人の罪の審判を行うという「十王信仰」があり、これが「地蔵十王経」として日本に伝わりました。
平安時代の日本では、「本地垂迹説」という、神様は仏様の仮の姿であるとする考えが広まり、地獄の王たちも仏の化身だと考えられるようになりました。
これによると、閻魔も仏の仮の姿であり、その仏とは、なんと、地蔵菩薩だとされたのです!
このような考え方は、現世で悪巧みを働いて地獄へ落ちかけた際、功徳が少しでもあれば地蔵菩薩が閻魔大王に取り入って、極楽浄土へお連れ下さるということで、広く認知されるようになりました。
地蔵菩薩の仮の姿だとされる神には、他にも、愛宕神や天児屋命(あめのこやねのみこと)などがいます。
このように、色々な神や信仰と結びつきながら、地蔵菩薩は日本人にとってもっとも身近な仏様になっていったのでした。

お地蔵さまに子供の成長や水子供養など「子供に関しての祈願をする理由」

ちなみに地蔵菩薩に「ヨダレかけ」や「お菓子」を供えて子供の成長の祈願する理由は、水子信仰に起因するものです。

幼くして亡くなった子供は功徳を積む時間がなかったので「賽の河原(さいのかわら/三途の川の岸辺)」へと流されます。..いっぺん死んでみるぅ?(by.地獄少女)

そんな哀れな子たちを救うスーパーマンが地蔵菩薩です。

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