浅草寺の境内にはたくさんのお堂がありますが、それ以上によく見られるのが石碑です。
石碑がたくさんあるということは、それだけ浅草寺に何らかの関わりを持った人の多さを物語ります。
浅草寺参拝の際には、故人や歴史を偲び、諸碑をめぐってみるのもいいかもしれませんね。ウフ
松尾芭蕉の句碑
- 場所:弁天山(「時の鐘」の付近)
- 建立年:1796年(寛政8年)
松尾芭蕉の句「くわんをんの いらかを見やりつ 花の雲」が書かれた石碑は、年月が経ち、その文字は読めなくなっています。
本来は、句の下に芭蕉の座像が描かれていたようですが、これも判断できず、一見すると「ただの大きな石」です。
芭蕉は他にも「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という有名な句を残しています。
そのゆかりで「時の鐘」の近くにこの石碑が建っているのでしょう。
関連記事:浅草・浅草寺「弁天山」
添田亜蝉坊の碑
- 場所:弁天山・時の鐘近く
- 建立年:1956年(昭和31年)
添田亜蝉坊は「そえだあぜんぼう」と読みます。
浅草で活躍した演歌家・添田亜禅坊の「つきいだす 鐘は上野か 浅草か~」の歌詞が刻まれています。
浅草の会・東京作家クラブによって建てられたものです。
関連記事:浅草・浅草寺「弁天堂」
旧・五重塔跡の石碑
- 場所:宝蔵門の右側
- 建立年:1968年(昭和43年)年頃
現在は雷門から見て、宝蔵門の左側に建てられている五重塔ですが、本来は反対の位置、右側に建てられていました。
本来建っていた場所に、今では石碑が置かれているのです。
現在の五重塔の工事開始時期か、それ以降に置かれたものだと考えられます。
関連記事:浅草・浅草寺「五重塔」【旧・国宝】
鳩ポッポの歌碑
- 場所:本堂左を南に下がる
- 建立年:1900年(昭和33年)
作曲・滝廉太郎、作詞・東くめの童謡「鳩」の歌詞が書かれています。
その碑にはレプリカの鳩がとまっています。
作詞家の東くめが、浅草寺で鳩を追いかけて遊ぶ子ども見て、鳩ポッポの歌詞を書いたことからここに碑が建っているのです。
消防殉職者表彰碑
- 場所:本堂裏
- 建立年:1916年(大正元年)
消防殉職者の碑は、「しょうぼう じゅんしょくしゃのひ」と読みます。
何度も火事にみまわれた浅草寺の、本堂裏にある石碑には、幕末の火消しや消防隊員の殉職者たち120名の名前が刻まれています。
5月25日の午後11時から、この場所で慰霊祭が開かれ、町火消しの梯子(はしご)乗りを見ることができます。
幇間塚の碑
- 場所:鎮護堂境内
- 建立年:1963年(昭和38年)
幇間塚の碑は「ほうかんづか」の碑と読みます。
男芸者である幇間の供養塚です。
浅草生まれの俳人・久保田万太郎の句が刻まれています。
鎮護堂は別名「おたぬきさま」と呼ばれ、太鼓持ちである幇間者に信仰されていました。
関連記事:浅草・浅草寺「鎮護堂」
新奥山の諸碑
- 場所:新奥山
- 境内の西側、淡島堂の南にある新奥山にはたくさんの碑が建っています。
正岡子規の句碑や、浅草の観光に尽力した人々の碑、歌人の碑、書家の碑…、石碑マニアにはたまらない場所かもしれませんが、数が多すぎるので一般の人なら素通りしてしまいそうです。
力石・熊遊の碑
- 場所:新奥山の南
- 建立年:1874年(明治7年)
力石・熊遊とは「ちからいし くまゆう」と読みます。
力くらべに使われた石で、熊次郎という男が375㎏の石を持ちあげた記念に建てられたものです。
大谷夫妻のブロンズ像
現在の宝蔵門は、1964年(昭和39年)にホテルニューオータニの創始者・「大谷米太郎(よねたろう)氏」の寄進によって鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
大谷氏のお顔を拝見されたい方は「本堂裏」へ行ってみましょう。
浅草寺の北の広場に「大谷夫妻のブロンズ像」が建っています。
浅草・浅草寺「九代目市川団十郎像(暫像)」
九代目・市川団十郎は、明治時代に活躍した歌舞伎役者で数多くの功績を残し「劇聖(げきせい)」とまで呼ばれた名歌舞伎役者です。
今でも歌舞伎の世界で単に「九代目」と言うと、この市川団十郎を指すというくらい偉大な人です。
1903年に九代目が亡くなり、その16年後の1919年、浅草寺に九代目 市川団十郎像が設置されてい‥‥‥申す。
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この他に、浅草寺本堂の真隣りに位置する「浅草神社」境内や、浅草本堂裏などにも記念碑や石塔、像が建ち並んでいます。
浅草寺の碑は、建立場所は様々で建立年も江戸時代から平成までバラバラです。
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